恵み・支えの双方向性 第8回 ケアの双方向性
柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長
〈ケアの本質〉
ミルトン・メイヤロフは名著『ケアの本質』(ゆみる出版、一九八七年)の中で、「ケアの双方向性」について書いています。ケアを提供する人は、受ける人に一方的にケアを提供するのではなくて、受ける人から多くのことを受け取るというのです。その受け取ることの中心はケアを通して、人間として成長できることだと書いています。
ホスピスでのケアを通して、私はこのことを実感しました。医師として痛みのコントロールをし、患者さんの不安に聞き入り、穏やかに人生を全うしていただくというケアを提供します。ケアは私から患者さんへ向かいます。それと同時に、ケアのプロセスを通して、私は患者さんから実に多くのことを学びます。穏やかな感謝に満ちた最期を迎えるためには、日ごろから周りの人々に感謝する生活をする必要があることを患者さんから教えられます。これは患者さんから私に向かうベクトルです。すなわち、ケアは双方向性なのです。
〈安易な励まし〉
ホスピスを始めたころのことです。五十二歳の卵巣がん末期の患者さんを看取りました。この方は元老人ホームのナース。亡くなる前に「何か先生のお役に立って死にたいと思っていた」と言われました。私は「私の言葉、接し方で問題だったと思うことを教えてほしい」と言ったら、「二か月前、『わたし、もうダメじゃないでしょうか』と尋ねたとき、先生は励まされたでしょう。先生にあそこで励まされて、私は弱音が吐きたかったのに、二の句が継げずに『ハァ』と言って会話が終わってしまいました。その後、とってもやるせない思いをもちました」と言われ、ショックでした。安易に励ますことが患者さんに何の効果もないだけでなく、マイナス効果を与えてしまうのです。これ以後、患者さんを励ますことに関してとても慎重になりました。ケアを通して患者さんから学んだ大切な教訓です。
〈医師にできること〉
フランスの医師ペレが残した有名な言葉があります。医師に何ができるかを短くまとめたものです。
To Cure Sometimes 時に癒し
To Relieve Often しばしば苦痛を和らげ
To Comfort Always 常に慰める
医師は病気を時々しか治すことができません。けれども、医師が患者の症状をとって楽にしてあげることはしばしばできます。そして医師が患者を慰めることはいつでも可能です。
ペレの言葉は医師の姿勢として、患者を慰めることはいつでもできることを示しています。慰めることは医師から患者へのベクトルです。しかし、慰められた患者はきっと何かを、慰めた医師に返しています。最も多いのは感謝の気持ちを具体的に示すことでしょう。ホスピスで看取ったある患者が病床日記を書いていて、その中に主治医であった私に対する感謝の気持ちが記されてあり、患者の死後、家族からそれを見せてもらって、大いに慰められた経験があります。
外科医の友人は「手術した患者さんが退院の日に『先生本当にありがとうございました』と言ってくれる。その言葉に支えられて、また頑張ろうという気持ちが湧いてくる」と言いました。
〈支えること・支えられること〉
あらゆるケアは双方向性を持っています。take careとcareとは違うといわれます。take careというのはtake care of a baby(赤ちゃんの世話をする)というように一方的であるが、careはcaring relationship (配慮的人間関係)という言葉があるように双方向性だというのです。しかし、赤ちゃんの世話を通して、母親は赤ちゃんから実にたくさんのものをもらっているのではないでしょうか。おむつを換えた後、気持ちよさそうに眠りに落ちた赤ちゃんは、母親に育児の喜びを与えているのではないでしょうか。鷲田清一先生(哲学者、前大阪大学総長)は、「支えること・支えられること」というフォーラム(毎日新聞、二〇一四年六月三十日、大阪朝刊)の中で、「生まれたばかりの赤ちゃんは、弱い存在ですが、疲れて帰ってきたお父さんは赤ちゃんのエネルギーに接し『この子を守るために、また仕事を頑張ろう』という気持ちになります。支えられているはずの赤ちゃんが、お父さんを支えているんです」と言っています。これも典型的なケアの双方向性を示す例だと思います。