戦争の記憶 Ⅱ 「次世代の責任」 ◇一九六二年、広島生まれ
森ゆかり
日本ナザレン教団 広島教会員
家の中で原爆の話をすることは、全くなかった。「原爆」の影が出てくると、父は機嫌が悪くなるし、聞くのも怖いし、第一、聞きたくなかった。暗黙のタブー話題だったと思う。
大学進学で広島を離れた十八歳のとき、私は初めて自分が「被爆二世」であることを認識した。先輩と話をしていて、「あ、じゃあジブン、被爆二世やんか」と指摘されたのだ。……それから結婚し、子どもを三人育てたけれど、ずーっとそこのところを避けて避けて、四十を越えた。
長女が六年生のとき、修学旅行で広島に行くことになった。軽い気持ちで先生に、「何かお役に立てれば」とお伝えしたところ、なんと先生は、「では、お父さんに被爆体験を話していただきたい」とおっしゃったのだ。
「わしゃ、熱が出んかのう!」前日まで父は隙あらば断る姿勢であったが、当日は子どもたちを前に、涙をまじえて初めて、体験の一部始終を語った。それは、母も私たち家族も初めて聴く、言葉になりにくいほど壮絶な体験であった。
私の父が、この呑気なおじさんがそんな体験をしたなんて信じられないし、信じたくない、という思いだった。
そして、広島には父のような人や、私のような子どもたちがいっぱいいるんだと思う。今はもうその孫たちの世代だ。
父は孫たちにしんどい体験を語って伝えた。「思い出すけん嫌なんじゃ」と言いながら、「伝えんといけんじゃろ」と言って、あれから毎年、訥々と子どもたちに話している。
(『いま、平和への願い語り継ぐべき戦争の記憶』 1,260円 より一部抜粋)