教会の成熟を妨げている“心の傷”に福音の光を
『情緒的に健康な教会をめざして』 情緒的に健康な教会から健全な宣教が生まれる
鈴木茂
仙台聖書バプテスト教会 牧師
本書は著者のピーター・スキャゼロ牧師の危機から生み出された。著者にとって人生最大の危機が実は、自分の人格や人生が大きく変えられていく為の祝福の扉となった。
本書はアメリカの福音派で認められ、キリスト教書の最優秀作品に贈られるゴールド・メダリオンを受賞している。今では英語圏だけではなく、スペイン語圏などでも広く読まれ好評を得ている。この度本書がプロテスタント宣教開始一五〇周年を迎える私たち日本人クリスチャンに紹介されることになったことはとても意味深いことだと思う。
弟子訓練に関する様々な問題が浮き彫りにされ、また疑問が投げかけられている日本のキリスト教界において、本書の内容は真剣に受け止められるべきものであると私は確信している。
一九八七年にニューヨーク市のクイーンズ区でジェリ夫人と共に始められたニューライフ・フェロシップ教会は、短期間に爆発的な数的成長を遂げた。当時の様子を師はこう振り返る。「毎週興奮するような神の働きを経験し、多くの人々が救われた」。教会では、毎週力強い説教が語られ、また大きなビジョンに向かって人々が活動していた。
しかし、「何かがとてもおかしい」と、著者は当時の自分の心境を正直に語る。そして、ついにスペイン語部の分裂、また夫婦間の問題などがきっかけとなり、自分自身の内面や養育歴を含む今までの歩み、また教会形成の見直しを迫られる。それは、自分自身の中身が深く探られ、本当の自分に出会っていかなければいけない深い痛みの伴う作業であった。しかし、このような作業を抜きに、クリスチャンが全人格的に福音の恵みによって取り扱われて真に成熟することはありえない、という現実を著者は語っている。
情緒面も福音の光によって深く取り扱われる必要がある
本書を通して著者が最も強調していることは、真の霊的な成熟は、情緒的な成熟なくして決してありえないということである。福音における成熟は、単に知性面が神の真理によって刷新されるだけでは決して充分でなく、情緒面も福音の光によって深く取り扱われて癒され、成熟する必要がある。なぜならば、情緒は私たちが想像している以上に私たちの生き方や考え方、人々との関係に直接的な影響を及ぼしているからである。また情緒は、氷山にたとえるなら水面下に沈む九〇パーセントの部分に似ていて、人格の成熟や人間関係に良くも悪くも影響を及ぼす要素がそこに存在しているからである。著者は自分自身の内面を聖書の光を通して見ることにより、人格的な成熟を妨げている問題や養育歴における傷や様々な影響などに正直に向かい合い、そしてこのような取り組みに癒しの光をもって働いて下さる神に癒され、新しくされることを、人格の深みにおいて体験された。神の刷新をもたらす働きは著者だけに留まらず、夫婦関係や他のすべての関係に確かに広がり続けていった。
著者はクリスチャンが真の意味で成熟する為に必要な六原則を挙げている。
(一)水面下を見る
(二)過去の影響を打ち破る
(三)弱さを抱えたまま生きる
(四)限界という賜物を受け入れる
(五)悲しみや喪失を受けとめる
(六)「受肉」に倣って人をさらに深く愛する
本書は日本のクリスチャンにとっても有益だ。神が私たちに与えられた救いは知性だけではなく情緒にも及ぶ全人的なものである(Iテサ五:二三)。即ち、神のかたちに創造された人間性のすべてがキリストにあって回復することである。一般的に日本では、感情の世界に目を留めることをしてこなかったし、そしてそれはキリスト教界でも同じではないだろうか。つまり、クリスチャンとして成長する為には、情緒も知性と同様に福音によって回復されることが不可欠であることに気づいてこなかったのだと思う。
神が本書を通して与えて下さる霊的示唆や洞察によって福音の恵みが浸透し、私たちが共に神と人と自分をより深く愛することができる者たちへと変えられていくことを共に望みたい。そして、健全な共同体作りの中から健全な宣教がなされ続けることを共に願いたい。