文学ジャンル別聖書の読み方ガイド 第19回 預言書の解釈 (上)

関野祐二
聖契神学校校長

旧約聖書の四分の一以上を占めながら、どことなく?めいて取っつきにくい預言書。なじみの薄い小預言書に至っては開くのも大変ですね。まずはどんな書物か、学びましょう。

● 小預言書はマイナー?

預言書は、紀元前七六○~四六○年の三百年間に、イスラエル(一部は捕囚先のバビロン)で書かれました。全部で十六ありますが、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル各書を四つの大預言書(major prophets)、ホセア書~マラキ書を十二の小預言書(minor prophets)と呼ぶのは、各書の長さによる区別で、重要度や価値の違いではありません。たとえば、「正しい人はその信仰によって生きる」は、ローマ一・一七とガラテヤ三・一一に引用された、信仰義認の教理の根幹ですが、出典は小預言書のハバクク二・四。ベツレヘムでのキリスト降誕預言はミカ五・二ですし、ペンテコステの聖霊降臨預言はヨエル三・二八―二九など、小預言書有名聖句は挙げればきりがありません。

● 預言の特質
○ 予言ではなく預言

一般にヨゲンと聞けば「予言」、すなわちはるか彼方の(胡散臭い?)未来予告と解するでしょうし、我らキリスト者も「預言」を旧約時代から見たキリスト来臨と終末の予告と捉える傾向があります。しかし、旧約預言書全体でそれら先々の予告が占める割合は数パーセント。むしろ預言書は、当時の北イスラエルと南ユダ、さらには周辺諸国の差し迫った将来を告げ、我々から見ればすでに過去の出来事が記録の中心なのです。

○ 預言は語られたもの

預言者の基本的役割とは、同時代の人々に神から預かったことばを語ることでした。預言とは本来語られたものであり、数百人はいたであろう預言者のうち、聖書という形で預言を書き記したのはわずかに十六人。エリヤとエリシャは紀元前九世紀に北イスラエルで非常に力強い働きをしましたが、それを記録するⅠⅡ列王記(旧約物語文)では語った預言よりも何をしたかが描写の中心です。

しかし預言書は、詩文体(新改訳聖書では段を下げています)で書かれた神からの預言のことばこそ豊かですが、散文体による預言者自身についての説明が少なく、語られた預言の収集ゆえ、時間順序や切れ目、歴史的セッティングが不明確。現代の読者が当時の聞き手の立場で読み解くには、なかなか難儀する書物なのです。

○ 預言は国家共同体に

預言は本来、イスラエル共同体に向けられた全国家的なもの。預言書にある祝福や呪いは、特定の個人の繁栄や死を保証するものではありませんでした。紀元前八~六世紀に告知された預言の大部分が呪いに塗りつぶされているのは、神が偶像礼拝をやめないイスラエル共同体に悔い改めを求め続けたからです。しかし、北王国も南王国も滅びた紀元前五八六年以降、預言は呪いから祝福に変わります。国家的刑罰が完了し、あわれみのご計画が実行に移されたからです。

● 預言者の役割
○ 契約施行の仲介者

神はしもべイスラエル民族と契約を結び、利益や保護と引き替えに、イスラエルが律法すなわち契約の条文を守るよう期待されました。契約ですから、守った時の利益(祝福)だけでなく、守らなかった時の罰則(呪い)を含むのは当然です。

神は単に律法を与えただけでなくそれを守らせようとした、ここに預言者の役割が導入されます。すなわち神は、律法を守る者には祝福が、守らない者には刑罰があることを、預言者を通して繰り返しイスラエルに語り、思い出させ、契約を施行したのです。

預言者とは神の契約の仲介者であり、スポークスマン(代弁者)。預言者を通して、神は契約を守らせるみこころをイスラエルに伝えたのでした。これこそ、律法違反に対する責めと悔い改め勧告が預言書に切々と述べられている理由。それは神が愛するイスラエル民族に、呪いではなく祝福を与えたいがためです。契約履行に関する祝福と呪いについては、レビ二六章、申命四章、二八―三二章をご参照ください。

○ 神の代理人

預言者を立てたのは神ご自身ですから、自分で手を挙げその職に就くなら偽預言者。「預言者」の原語は「召される」という動詞が起源のひとつで、神の召しに応答した職務なのです。預言によく出てくる「主はこう仰せられる」「主の御告げ」といったことば、「わたしは」と神ご自身が語ったような表現などは、預言者が預言を神から受け取り、代理人として直接取り次いでいる証拠でしょう。

時に預言は、取り次ぐ預言者の理解を超える内容を含み、社会通念や常識に反している場合もありました(敵国バビロンへの服従を預言したエレミヤ二七・二八章など)。しかし、預言者は神の代理人として、神の見解を忠実に取り次ぐことだけを求められたのです。

基本的には預言者のメッセージに独創性はなく、モーセ五書ですでに語られた内容の焼き直しと言えましょう。契約の施行という観点からはそれも当然。いつの時代も、立ち戻るべきは十戒と二大律法なのですから。

 

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