文学ジャンル別聖書の読み方ガイド 第23回 詩篇の解釈 (中)

関野祐二
聖契神学校校長

 新年を迎えた皆さんは、どんな目標を立て、いかなる抱負で信仰生活を歩み出しましたか。もしお決まりでない方、「詩篇で祈る」はいかがでしょう。クリスチャン英文学者の清水氾氏が生前、聖書のすべては詩篇に流れ込み、詩篇から流れ出るとわかった、だから今年は詩篇とともに歩む、そんな文章を年頭に書いておられましたよ。

 

● イスラエルの神殿賛美歌

 もともと詩篇は、古代イスラエル人の公同礼拝で用いるため作られた、実用的な歌。多くは成立年代が不確定で、表題も詩篇の一部ではないため、作成経緯は定かでないのですが、仮に表題を受け入れるなら、ダビデが全体の約半分にあたる73の詩篇を書いています。モーセ、ソロモン、アサフ、コラの子たちの作もあり、作者不明も多々。全五巻の区分理由もはっきりしません。確かなのは、詩篇が神殿という枠を越えて広がり、あらゆる生活状況の中で一般の人々に歌い継がれたこと。主イエスや弟子たち、使徒パウロも詩篇を歌いました(マルコ14・26、コロサイ3・16)。

● 詩篇の型

 様式を同じくする「型」に従った詩篇の分類については、B・W・アンダーソン著『深き淵より 現代に語りかける詩篇』(新教出版社、1989年)が参考になります。

 ○ 嘆きの歌(哀歌) 哀歌は60以上あり、「個人的哀歌」は人が苦しみや失望感を主に対し表現する助けとなります(詩22など)。それとは別に「共同体の哀歌」も(詩137など)。かつて9・11事件の際には、米国教会の礼拝で詩篇88篇が朗読されたそうです(分類上は個人的哀歌ですが)。

 ○ 感謝の詩篇 哀歌と対照的な環境で用いられ、同じく「個人的感謝の詩篇」(詩32など)と「共同体の感謝の詩篇」(詩136など)があります。これで祈れば、私たちの感謝も喜びが倍加しますね。

 ○ 賛美歌 神の偉大さやその恵みゆえに神をたたえる歌です。自然界の不思議や美しさゆえに主を賛美する「自然詩篇」(詩104など)、イスラエルの保護者なる神をたたえる詩篇(詩66など)、歴史の主をたたえる詩篇(詩103など)。個人でも共同体でも用いることができましょう。なお自然詩篇では、単に自然を愛でるだけでなく、「救い」というテーマがセットになっており、詩人は救われた者の視点で自然界を見、救いの喜びを表現しています。

 ○ 救済史の詩篇 これは、奴隷だったエジプトからの解放について回顧する詩篇(詩78など)。イスラエルの出エジプトは、救いのモチーフとして旧約聖書全体に繰り返し登場する出来事です。

 ○ 祭りと契約の詩篇 50篇や81篇は神の民をシナイ契約更新へと導く礼拝式文。89篇や132篇はダビデ契約の更新で、キリスト降誕に至るメシヤ預言の要素も含みます。これと結びついているのが、古代イスラエルの王制を扱った「王の詩篇」(詩2など)。関連する「即位の詩篇」(詩24など)は、毎年行われる即位の祝いで用いられましたが、王なる主ご自身の即位をも表します。さらに、「シオンの歌、エルサレムの歌」(詩84など)は、イスラエルの中心地、神の都エルサレムがテーマ。天の都(ヘブル11・16)、新しいエルサレム(黙示録21・2)へとつながるでしょう。

 ○ 知恵の詩篇 詩篇37篇、49篇など、箴言に似た格言的教訓の内容です。

 ○ 信頼の歌 神が信頼されるべきお方として歌われ、失望した時に神の慈しみと配慮を確かめることで、神への信頼表現を助ける効果があります(詩23、121など)。

● 詩篇の構成(哀歌を例に)

哀歌には、相手、訴え、信頼、救い、確信、賛美の六要素が含まれています。詩篇三篇でそれを確かめましょう。

 ○ 相手(1節) 詩篇は祈りですから、相手は「主」。単刀直入の呼びかけです。

 ○ 訴え(1、2) 問題や状況がいかに厳しいかを、「敵」になぞらえ訴えます。

 ○ 信頼(3-6) 神に信頼しているから訴えるのです。神とはどのようなお方でいかに民の安全を守るか、詩人は表明します。

 ○ 救い(7a) 信頼表現に続くこの時点まで、助けの求めをとどめてきた順序に注目。求めと賛美がバランスしています。

 ○ 確信(7b) 神が救ってくださるとの表明です。敵とか悪者とは、詩人が直面する問題や困難を表しますが、解決の約束以上に、神がみこころに添った問題処理をされるとの確信とも言えましょう。

 ○ 賛美(8) 神の真実さを叫び、神が救い手であり祝福を与えるお方であると宣言します。

 嘆きの詩篇はバランスのとれた祈り。求めは感謝で、訴えは信頼でバランスされます。また、詩人は驚くほど正直で自由な訴えや求めを表明しており、私たちの祈りが神に対しもっとオープンであるべきことを教えます。とはいえ、詩篇は教育よりもひとつの導き(ガイド)として書かれたのですから、問題に囲まれ気落ちした時、詩篇によって祈りましょう。神が詩篇を(頁の上でも)旧新約聖書の中心に置いたのは、私たちが思いと感情を素直に表現し、神との交流を助けるためなのですから(ピリピ4・6、7)。