新ガイドライン──キリスト者の視点から 新ガイドラインは戦争への道
――新ガイドライン法は、新たな国家総動員法なのか?
中山 弘正
明治学院大学教授
私どもは、第二次世界大戦に日本がのめり込んでしまったのはどうしてだろう、どうして国民はそれを止めることが出来なかったのだろう、と思うことがあります。しかし、ここ数年の日本と世界の動きとその中での自分たちの非力を思い知るにつけ、あのころもこうして戦争への道をたどっていったのかと考えるようになりました。エリヤのように、私どもも先祖に比べて少しもまさってなどいないのです(I列王19・4)。
●日本を軍事大国にしようとする動き
「日米防衛協力のための新ガイドライン関連法案」の中には、1938年の国家総動員法を下敷きにしたところがあります。そのころの政治体制に比較し、現在はどれくらい進歩しているでしょうか。現在でも、この法案のための特別委員会五十数名中、明白な反対は二、三人でした。言いたいことだけは少し言わせても、翼賛体制的な体質は全く変わっていないのではないでしょうか。
ここ数年、と言ったとき、念頭にあるのはいわゆる「冷戦の崩壊」以降です。日本ではPKO法が出た1992年ころからの状況です。’91年1月に湾岸戦争がありましたが、このとき、一方でアメリカはほとんど一極支配的な覇権国でしたが、他方、自分の国の資金だけでは戦争費用をまかない切れませんでした。アメリカは日本の「国際貢献」を要求し、お金を要求しました。
日米ガイドラインも全くこの延長線上にあるといえます。アメリカの軍事的な覇権を認めつつ、しかも日本が実際に軍事力をもってこれに協力し、やがてさらに軍事力負担を増加させていくことが期待されています。例えば、アメリカの「国防予算」は、レーガン政権期(1981~89年)に年間約二千億ドルから三千億ドルへ増加し、予算中の比率も増え、27%に上っていましたが、90年代に入り、絶対額は大きくは減っていないものの、その比率は20%を割り、16%台に落ちつきました。対GDP(国内総生産)比率でみると、この間、6%から3%台へも減らしてきているのです。それで、GDPに対する「投資」の比率も、一時15%台に落ちていた(日本は約30%)のが、18%台にも回復してきており、冷戦崩壊による「平和の配当」をアメリカは享受しているといえましょう。じつは、この間にも日本の「防衛関係費」は、例の対GDP比1%をほぼ守りつつも、財政歳出に対しては、5.5%から、6.5%へと、そして絶対額で二兆六千億円から五兆円規模へと増加する一方なのです。今回の新ガイドラインは、こうした米日での軍事負担の動きを、その方向へ一層加速させることがもくろまれていると考えられます。すなわち、日本もアメリカと並ぶ軍事大国、軍事を背景とした外交の国へと国の基本方針を変えていくことを目的としています。
●「後方」なら支援してもよい?
「後方支援」だから、まだ安心だ、と思っているとすると大間違いです。すでに、先の大戦が石油を求めての「南進」、また次々と補給路を断たれていくことによる敗戦への道であったことからもわかるように、現代の戦争は総力戦であり、前線も後方もありません。実際に、何千キロ離れていても数分間で弾道ミサイルは「後方」基地を破壊できるのです。軍事協力が強められれば強められるだけ、前方と後方との区別は薄れてきますから、何か米軍の陰にかくれて、補給等々を手伝うくらいだったら大丈夫ではないか、と思っているとすれば大間違いでしょう。
しかも、国家総動員型の、民間、地方行政の全面的協力が織り込まれていますので、民間と軍事との区別もほとんどできなくなります。今年三月二十四日の朝日新聞「声」欄には、「日の丸・君が代」を明治学院では今後どのような事情が生じても掲揚・斉唱しないという理事会決議のことが載っていますが、そのすぐ上に、ある民間航空国際線機長の方が、「後方支援」といっても、民間機が兵員や軍事物質を輸送するのだから、国際民間航空条約の下で保障されてきた運航の安全が確保されなくなる点を憂えて投書しておられます。「多くの民間航空パイロットは、第二次世界大戦で民間の商船や貨物船が敵の標的とされ、多くの犠牲者を出したことを知っています。私は歴史を逆戻りさせるような法案には反対です」と述べられています。
●戦争のうわさはたえない
こうした様々の問題があることがよくわかっていながら政府はなぜこの法案の成立を急ぐのでしょうか。「戦争のことや、戦争のうわさ」(マタイ24・6)は昔も今も絶えたことがありません。戦争の被害を自国の領土で受けたことがなく、戦争のたびに強大になってきたアメリカという国が先に述べたような事情で、日本に軍事負担の増加を求め、また現代の世界は、「冷戦崩壊」に伴う「市場移行」の中で、全てが地球規模の問題に膨張しつつ、しかも、不安定さは一層増しているのです。コソボ問題も、もともとその一環だったのです。私どもは、具体的な状況をよくわきまえ、知りつつ、主のお助けを熱心に祈らねばなりません。