新約聖書よもやま裏話 第22回 「教会の敵」ローマ!
獣、大淫婦、大バビロン
伊藤明生
東京基督教大学教授
先回は、パウロがキリストの福音を語る際に、ローマに「平和」をもたらした「神の子」であるローマ皇帝と繁栄、まさにローマ帝国にもたらされた「福音」を意識せざるをえなかったことを書いた。そして、どちらかといえば、ローマ帝国の肯定的側面を紹介したが、やはり、キリスト教会の迫害者という「反キリスト」的印象を拭い去ることは難しい。しかし、一口に迫害、弾圧と言っても時代と共に変遷があり、地域差があったことも事実である。
ネロ帝による迫害
ネロ帝の治世であっても、哲学者セネカが後見人として活躍していた時代は、まだ「ローマの平和」が続いていた。ネロ帝は母親を殺害し、セネカに自害を命じた後に、反キリスト的正体を露わにした。彼はローマ市に自ら火を放って、キリスト者の仕業にしてキリスト教会迫害を大々的に始めたとされる。しかし、そのころのキリスト教会迫害もせいぜいローマ市に限られ、帝国全土における組織的なキリスト者弾圧はまだ始まっていなかった。
第一ペテロが執筆された年代を厳密には決定するのは難しいが、手紙の文面からは、せいぜい悪口雑言、嫌がらせを多少超える程度の迫害しか読み取れない。この手紙が書かれた当時も全面的にキリスト教が弾圧・迫害されるという事態にはまだ至っていなかったようだ。
ヨハネの黙示録
ところが、黙示録では、ローマ皇帝やローマ帝国は、悪の権化であるかのように描かれている。黙示録も執筆年代を確定することは難しいが、ネロ帝のあとドミティアヌス帝治世(八十年代)などに、帝国レベルで弾圧がなされた時代が背景となっているのかもしれない。キリスト教弾圧のただ中、ヨハネは身柄を拘束されてパトモス島に流刑されていたと伝統的に理解される。そして、黙示録では「大バビロン」、「大淫婦」、「獣」という比喩で、ローマの悪魔的側面が強調されている。
大バビロン
かつて旧約時代にバビロン帝国は南王国ユダを滅ぼして、ソロモンの神殿を破壊して、人々を捕らえ移した。そして新約聖書の時代になって、六六年、ユダヤの民は、ローマの支配に背き、反乱を起こした。ローマ帝国は、この反乱を鎮圧するに手間どった。退役していたウェシパシアヌスが総司令官となって、はじめて鎮圧の兆しが見えてきた。ネロ帝の死、その後の内乱を経て、ウェシパシアヌスが皇帝となり、ユダヤ鎮圧軍の総司令官は息子ティトスに託された。エルサレムは長い包囲の末、七十年に陥落し、その際に神殿も破壊された。こういう意味で、ローマ帝国のイメージはバビロン帝国と重なりあう。
大淫婦
「大淫婦」とは、偉大な遊女のこと。男どもを手玉に取る魅力あふれる大淫婦。七つの山の上に座り、七人の王がいる。ローマ帝国の首都ローマ市は元来、七つの丘に築かれた町であった。ローマ帝国の富、異教の神々の魔力、不道徳でローマの男たちが誘惑される現象を、魅惑を秘めた女性、遊女として表現されている。獣、ネロ皇帝伝説
ダニエル書の幻では、歴史に登場した複数の諸帝国が様々な「獣」と描写されている。「獣」は礼拝の対象偶像にほかならない。ローマ帝国の悪魔的側面が描写され、そして悪魔はローマ帝国として具現化している。獣の数字として六百六十六と記されているが、「ネロ帝」を指し示すようだ。ヘブル語で「ネロ」と表記するヘブル文字の数を足すと六百六十六になるからである。ローマ皇帝ネロは、最後には精神的に追いつめられて自害した。ただ、どこからともなく、まことしやかにネロ帝は再び東方から現れる、とネロ帝にまつわる伝説が生まれたようだ。悪魔的存在であるネロ帝が再来する、と怖れられた。こういう伝説を背景にして六百六十六という数字が用いられたのだろう。
小羊の勝利
地中海世界全土からぜいたくな商品の数々がローマ市に集められ、高貴な人々の生活を豪奢なものにしていた。黙示録に列挙されている商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造った器具、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、人のいのち。当時のローマの貴族たちの間で、大きな高価な真珠を酢に溶かして飲むという遊びが流行ったという。地上の権力、繁栄、富、異教、不道徳というものには常に人をまどわす落とし穴が隠されている。
ローマ帝国、ローマ皇帝がイコール悪魔とは言わないまでも、悪魔の具現化として表現されている。だから、大バビロンは倒れる、いや倒れた。裁きの宣告が高らかに宣告されている。黙示録のクライマックスでは、小羊の勝利が預言されている。