新約聖書よもやま裏話 第29回 アレキサンドリヤのフィロン
離散のユダヤ人の視点から


伊藤明生
東京基督教大学教授

伊藤明生

フィロンについて

 フィロンは先回のヨセフスのように重要なユダヤ人の著述家であるが、ヨセフスほどには知られていない。

 その理由は、フィロンの著述の大部分がまだ日本語では読むことができないこと。また、ヨセフスとは違い、フィロンの生涯の詳細が不明なこと。また著述の大部分が旧約聖書の解説の類で、一般の日本人にはあまり関心がわかないことによるのであろう。

 彼の著作は、ストア哲学、プラトン哲学などのギリシヤ哲学と旧約聖書とを折衷したものが大部分を占めるが、聖書をどう読み、どう理解するかを考えるうえでフィロンは、たいへん参考になる人物である。

フィロンの業績

 フィロンは、パレスチナ外で一番ユダヤ人の多いエジプトのアレキサンドリヤに生まれ育ち、活躍した。ギリシヤの知恵に習熟したユダヤ人で、ギリシヤ哲学とユダヤ教信仰とを統合することに努力をした。

 現存する著作はすべてギリシヤ語であるが、一部の著作はギリシヤ語原典から古代アルメニア語に翻訳されたものしか残っていない。その大部分は旧約聖書の解説であるが、ユダヤ人でない人々を念頭に置いて、旧約聖書が説き明かされている。

 彼の著作はキリスト教会によって伝えられ、使徒教父をはじめ、後代のキリスト教神学に多大の影響を与えた。しかし、ユダヤ教のラビたちはフィロンの著述を無視してきた。

フィロンの位置付け

 同時代のアレキサンドリヤの伝統がわからないので、ユダヤ教全体の中で、フィロンがどのような位置を占めているのか、どう位置付けるかは非常に難しい。一言で言えば、当時のユダヤ教の主流から外れていたことは間違いない。

 さらに哲学者として評価することはもっと困難である。彼は様々なギリシヤ哲学を折衷しているからだ。

フィロンの生涯

 フィロンの生涯は不詳であるが、ヨセフスによると、アレキサンドリヤのユダヤ人社会で指導的な役割を果たした家族の一員であったらしい。アレキサンドリヤのユダヤ人社会は、紀元三九~四〇年に時のローマ皇帝ガイウス・カリグラ帝(在位三七~四一年)に使節団を派遣したが、団長として使節団を率いたのがフィロンであった。生まれは紀元前二〇~一〇年頃で、没年は紀元四五~五〇年頃と思われる。当時のアレキサンドリヤでは、ユダヤ人たちがギリシヤ人と同等の市民権を要求していた。

 フィロンは、あくまでも離散(パレスチナ外)のユダヤ人共同体の構成員であった。エルサレムへの巡礼の経験はあったらしいが、当時のパレスチナのユダヤ人の習慣・思想をどこまで知っていたか定かではない。

 また、彼の思想・(旧約)聖書の読み方がどれほど当時のアレキサンドリヤで、あるいはユダヤ人一般の間で普通であったか、受け入れられたかは、あまりわかっていない。

フィロンの聖書解釈

 著作の多くは(旧約)聖書記述に関するものであるが、寓喩的(アレゴリカル)な聖書解釈を駆使した。モーセの律法を解釈する際に、文字通りの意味よりも、寓喩的意味をフィロンは説き明かしているが、文字通りの意味そのものも軽んじていないし、軽んじる者たちを批判している。

 寓喩的解釈とは、元来ギリシヤの知識人たちが、ギリシヤ神話の人間的で不道徳な神々を合理的に説明しようとして用いた手法である。文字通りの意味ではなく、より一般的な意味を導き出すには、便利な手段である。

 キリスト教は、旧約聖書の宗教に由来するが、パウロたちが異邦人伝道した結果、異邦人キリスト者が教会に増えた。パウロは異邦人キリスト者が異邦人のままで一人前のキリスト者である、と論じている。

 キリストの救いのみわざが完璧であれば、キリストを信じるだけで救われて、神の民の一員となることができるはずだ。とすると、キリストのみわざに律法の行いなど何かを付け加えることは容認できなかった。

 異邦人キリスト者たちも旧約聖書を自分たちの聖書としたが、割礼や食事規程やいけにえなど旧約聖書の律法の一部は文字通りには行わなかった。

 キリスト者は旧約聖書で規定されている罪のためのいけにえをささげない。それは、キリストが一度十字架の上で贖いの死を遂げたことで、キリストを信じる私たちは罪赦される。換言すると、旧約聖書で規定されているいけにえは、あくまでもキリストの十字架のみわざを指し示している。

 キリストは、旧約聖書で規定されている大祭司に優る大祭司である。旧約聖書の律法は影であって、来るべき本体を指し示している、とヘブル書で論じられている。

 フィロンの寓喩的な聖書解釈には、キリスト教の立場から旧約聖書をどう解釈したらよいか、ひとつのヒントが提供されている。