日本で一番絵本を読み聞かせたお母さん 前半 『マリナと千冊の絵本』著者
原ひろこさん
「最近、マリナ、人見知りをするようになったのよ。ごめんなさい。いつもはもっと人なつっこいのに」。二十一歳のマリナさんは、養護学校を卒業してから、自宅から車で約十分ほどの福祉作業所「花の郷」に通っている。母ひろこさんと訪問するとマリナさんは、一度は笑いかけてくれるのだが、その後は何気なくしらんぷり。
二十歳を過ぎて人見知り。生後二週間目に発熱し、その後遺症として、重度の脳性障害がのこったマリナさんの脳の発達は、ほかの子どもの成長とは速度が違う。
しかし、成長がゆっくりだからこそ出会えたものがあった。絵本、友人、そして神様。ひろこさんは『マリナと千冊の絵本』を著し、この二十年間をふり返った。
キャシーさんとの出会い
「ステキな家にすんで、ステキな夫婦、そしてステキな三人の子ども。近所中があこがれる家族だったのよ」と、古くから原さんを知る友人は言う。しかし四番めに生まれた二女マリナさんの障害は、ひろこさんを、奈落の底へと突き落とした。「私がもっと気をつけていれば……」と自責の念にかられ、マリナさんをずっと抱いて、カーテンを閉め切って部屋の中にこもる。一日に何百回とけいれんを起こす娘を前に、なす術もなく、ただ死の淵に立たされるような毎日。なんの希望も持てないという日々が二年ほど続いたという。
「世の中には人の力のおよばない、どうしようもない運命あるとその時に思いました。だから、だれにも相談できず、本当に孤独でした」 転機となったのは、夫の勧めで、二か月の間、アメリカからの留学生であるキャシーさんをホストファミリーとして受け入れたことだった。
キャシーさんと一緒に、ひさしぶりに家族総出で旅行へ。富士山に登り自然に囲まれ、ひろこさんは思った。
「大自然はこんなに生き生きと息づいている。マリナが障害を負ったことを悲しみながら一生を終えて何になるだろう。人生は一度しかないのだ。この与えられた運命を受け止めて、私にしかできない生き方をすればいいのではないか、『マリナがいるからこんな生き方しかできない』と思うより、『マリナがいたからこんな生き方ができた』と思えるように生きていこう」(本文より)
その時、心の中で何かがふっきれ、生きる喜びが再びわき上がってきたという。
かけ橋になった絵本
その後、彼女は絵本と出会う。ひろこさんは、「マリナを歩けるようにしたい。話すことができるようにしたい」との一心で、厳しい訓練として知られるドーマン法を始める。絵本の読み聞かせはその訓練のひとつだった。二歳になっても、一言も話すことも、物事を認識することも、はうことも座ることもできないマリナさんに、ひたすら絵本を読み続けた。同じ本を一日に何度も何度も読む。一日二十冊。絵本を読み始めて十七年がたち、今では原家の書棚には千冊を越える絵本が並ぶ。同じ本が何冊もある場合もある。繰り返し読んで、ぼろぼろになっては買った。
「日本一絵本にくわしいお母さん」と呼んでもいいかもしれない。一冊一冊、手にとっては、それを開き、絵本のよさを解説してくれる。
「絵本は私とマリナをつないでくれるこころのかけ橋になってくれた。マリナと遊びながら、私は絵本の世界観に多くの影響を受け、人として母として大切な感性を育ててもらったと思っている。マリナに言葉を教えるために始めた絵本の読み聞かせは、私にもマリナと同じくらいの幸福を与えてくれた。今では、絵本のとりこになっているのは私かもしれない」(本文より)