日本で一番絵本を読み聞かせたお母さん 後半 『マリナと千冊の絵本』著者
原ひろこさん
言葉に救われて
物語が、ひとりの人生と重なり合うとき、そこにある言葉は、宝石となって光り輝く。ひろこさんも、絵本をはじめとして世界中の名作から宝石をもらった。いや、ひろこさんにとって、その言葉たちは、宝石というよりも生きるためになくてはならない命綱だったのかもしれない。言葉との出会い、そのひとつひとつに救われてきた。ジャンルは多岐にわたり、山岡荘八の『徳川家康』(講談社・全二十六巻)にも勇気づけられた。
「私は幸福になる本当の秘訣を発見しました。それは現在に生きることです。いつまでも過去のことを悔やんだり、未来を思い煩ったりしないないで、今のこの瞬間から最大限度の喜びを捜し出すことです」(ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』新潮文庫より)。
「一番、幸福な日というのは、すばらしいことや、驚くようなこと、胸の沸きたつようなできごとが起こる日のことではなくて、真珠が一つずつ、そっと糸からすべりおちるように、単純な小さな喜びを次々にもってくる一日のことだと思うわ」(モンゴメリー『アンの青春』新潮文庫より)。
これらの物語の主人公たちが語るように、小さな喜びを日常から見つけだす。また、日常には小さな喜びがあふれていると、ひろこさんが気がついたのは、「希望」をみて生きる大切さを身をもって理解したからだろう。
荷を下ろして
ミッションスクールに通うなど、クリスチャンとのかかわりが多かったひろこさんが、クリスチャンになる決心をしたのは、マリナさんが九歳のとき。ある雪の夜、マリナさんがけいれんの大発作を起こし、生死をさまよう経験をしたことがきっかけだった。「人間を越えるものに寄り頼んで生きたいと、聖書の神様を信じていこうと決心しました」。伝統やしきたりを重んじる農家で育ったひろこさんにとっては、清水の舞台から飛び降りるほどのことだった。一九九五年、十歳のマリナさんと一緒に受洗した。
「それまで、自分では感じていなかったのですが、マリナをひとりで背負い込み、肩に力を入れていたことに気がつきました」と言う。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところへ来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ一一・二八)
この聖書の言葉を引用した牧師の祈りに涙がこぼれた。──「もう、ひとりで悩まなくてもいい」いつか夢の中できいた声がよみがえった。
「苦労、苦しみをとおして、人の心が少しずつわかってきたような気がします。神様は試練を与えるけど、脱出の道も備えて下さっているということもわかりました。そして、もしこの苦しみに出会わなかったら、聖書の神様にも出会わなかったと思います」
「重荷を下ろした」からといって、何かをあきらめたわけじゃない。「二十歳がもっとも成長するときなんですって。これからもがんばらなくっちゃ」
愛情で輝く
ひろこさんは、苦しみのなか、多くの言葉に励まされてきた。そして今度は「家族が日々の暮らしの中で口にする何気ない言葉の断片」を、蓄えてきた感性で紡いでいる。父さんとマリナのないしょ
マリナ!
もしも 一言
話せるようになって
「お父さん」って
先に言えるようになっても
黙ってていいんだよ
「お母さん」って
言える日まで
黙っていていいんだよ
(本文より)
『マリナと千冊の絵本』には、厳しいドーマン法の訓練こと、キリスト教とのかかわりについて、子育てのこと、そしてマリナさんとひろこさんが一緒に取り組んだいくつかの絵本が紹介されている。そして二十七編の詩。毅然と愛情を示し続けるお父さんをはじめとして、原家の愛情があふれくる。
苦しみの中で磨かれた感性は、実に美しい宝石。そして、この宝石は愛情によって輝きを増し続けている。(編集部)