日本プロテスタント宣教150周年 その歩みから現代の教会が教えられること [2]

中村 敏
新潟聖書学院 院長

 

最初の日本のプロテスタント教会の設立とその特色

一八七二(明治五)年に横浜で、日本最初のプロテスタント教会「日本基督公会」が誕生しました。この教会は、熱烈な祈祷会の結果生まれました。このことはとても大切です。祈りが教会を生みだし、成長させるのです。最初の教会は特定の教派色を出さず、「公会主義」と呼ばれる立場を取りました。彼らは、ルター派とかカルヴァン派といった教派にこだわりませんでした。教会規則でうたったように、ただ聖書を標準とし、聖書を信じる者はみな兄弟姉妹であるとしました。これは指導をした宣教師達が、中国では教派が乱立したことから来る弊害を自覚して、日本ではできるだけ協調していこうと考えたことがあります。また、この教会の設立に大きな影響を与えた「福音同盟会」から来る一致精神も、見落とすことができません。しかし、その後多くの教派のミッションが来日して伝道したので、多くの教団が設立されました。

しかし、その後も、そして今日でも日本の教会は、欧米の教会と比べると教派意識が薄いと言われます。それと関係しますが、伝統的に厳格な信条より簡易信条を好みます。法的性格よりも、運動体的性格が強く見られます。

こうした体質は、日本のキリスト教宣教の歴史を見ていくと、超教派の協力がしやすいという長所があります。しかし、その反面、明治期の自由主義神学の流入で大きく混乱したように、その時代の神学傾向に容易に影響される弱点を持っています。一九四一年に文部省の圧力を受けて、日本基督教団が成立した際にも、そうした短所を見ることができます。

宣教師が模範を示した高い倫理生活

次に言えることは、初期のクリスチャンの生活はとても立派なものだったということです。聖書の中には「神は聖なる方であるから、私たちも聖い生活をすべきである」と教えられています。日本にやってきた宣教師達はお酒やタバコを飲まず、結婚生活を大切にしました。日本人の信徒は、こういう宣教師達を模範にしました。

その頃の日本は、まだ一夫一婦制ではありませんでした。一般の人は奥さんは一人でしたが、身分の高い人、お金のある人は奥さん以外に何人も妾、または愛人がいる人がいました。明治時代の国民の模範になるべき明治天皇には、何人も側室がいました。このように日本の家庭で、妻の立場はとても弱いものでした。夫の気に入らないことがあれば、簡単に妻は離婚されてしまいました。それに対し、クリスチャンは一夫一婦制を守り、結婚生活を大切にしました。

その頃、公認の売春制度がありました。これに対してクリスチャンが先頭に立って廃止するための運動をしました。このように、クリスチャン達は聖書の言う「地の塩、世界の光」となって活躍しました。キリスト教の悪口を言う人達も、「道徳の点では、キリスト信者に頭をさげる」と言ったほどでした。しかし現代の教会の中に、罪がどんどん入りこんでいるのはとても残念なことです。もう一度聖書の原点に戻りたいものです。


日本を訪れた無名の宣教師達は福音とともに、その生活スタイルでも影響を与えた。(写真:明治学院90年史より)

日本キリスト教宣教史に見る成長期と今日の状況

最後に、日本のキリスト教宣教史で、大きく成長した時期の共通の要素を考えてみましょう。そうした時期は、過去に三回あったと考えられます。一回目は、十六世紀の半ばから十七世紀の初めのキリシタン時代です。ザビエルの来日に始まるイエズス会の宣教は、織田信長、豊臣秀吉の保護政策もあり、多くの人々がキリスト教に回心しました。一六〇〇年頃には、日本全国で六十万人のキリシタンが存在したと言われています。これは当時の人口の実に二・四パーセントにあたります。

二回目は一八八〇年代、明治期の半ばの欧化主義政策の時代です。キリスト教会の中でリバイバルが起き、政府の欧化主義政策によるキリスト教奨励策ともあいまって、キリスト教が急成長しました。この時期の五年間で、教会数が約二倍、信徒数が約三倍になりました。この時期のキリスト教の指導者達は、このまま行けば日本はキリスト教国になると、本気で信じていました。

三回目が、戦後の進駐軍(GHQ)時代です。敗戦により、それまで日本人の心を支配していた天皇制軍国主義が崩壊し、多くの日本人の精神は真空状態になりました。そして日本を支配したGHQは日本の民主化を促進するため、キリスト教を保護奨励しました。戦後二代の東大総長や総理大臣(片山哲)がクリスチャンであり、皇室が聖書を学ぶという、今では考えられない時代で、いわゆるキリスト教ブームが到来しました。キリスト教の講演会といえば、どこも盛況でした。教会学校には、多くの子ども達があふれました。

この三つの時代に共通しているのは、日本の歴史が大きく揺れ動く、変動の時代であったということです。そうした中で人々は先の見えない不安を感じ、新しい価値観を受け入れやすくなっていると言えます。そして、どの時代も政府や為政者が対外的に開放政策を取り、キリスト教が外国文化と共に勢い良く入ってきたことです。しかし、いずれも一時的なブームに終わりました。そしてその後の反動としての、国家主義への逆戻り現象があり、キリスト教への迫害があった点も共通しています。

今日の日本の状況は、どうでしょうか。ねじれ国会による政治の不安定化と未曾有の世界的な経済危機が日本や世界を襲っています。多くの家庭が崩壊し、凶悪事件が頻発しています。そうした中で、人々はモノやお金ではなく、揺るがない、確かなより所となるものを求めています。ですから、キリスト教の出番は大いにあると思います。クリスチャンは、こうした時代だからこそ、現世の喜怒哀楽を超えた平安と希望を説く福音をいよいよ確信を持って伝えていきたいと思います。

 

日本プロテスタント宣教150周年 その歩みから現代の教会が教えられること [1]