日本人の精神風土と福音宣教 祖先祭祀を日本宣教の突破口に
堀越 暢治
単立 創愛キリスト教会 牧師
私は祖先祭祀の問題は、日本宣教を阻む大きな障害であると思いますが、同時にこの問題を突破すれば、日本宣教の突破口の一つが大きく開かれると信じています。私の四十年にわたる四日市伝道は、その報告書といってもよいかもしれません。
私がこれまで牧会していた四日市教会の周囲の環境は、現在では都市化によって変化しましたが、その伝道は、始めから祖先祭祀の問題とのたたかいでした。三年前、この四日市教会を若い牧師にゆだね、新しく開拓を始めました。四日市教会は現在も二百名以上の礼拝出席者を保っています。新しく始めた教会は、当初十五名でしたが、今では礼拝が六十名程度になりました。そしてともに「生命」がテーマの伝道をしています。それは、祖先祭祀の厚い壁を破るためのものでもあるのです。
一、子どもを教会学校にやらない会
四日市での伝道は、祖先祭祀の問題との対決といってもいいほどしばしばぶつかりました。何しろ、三キロ平方ほどの集落の中に、寺社が大小合わせて十四もある場所の真ん中に教会を建てたのですから。そしてついに「子どもを教会にやらない会」が結成されました。そのとき私は、この地で教会を形成しようと思ったら、この組織を破らねばならないと考え、少々大げさな表現かもしれませんが、一時この問題のために体を張りました。また、これは避けて通れない問題なのだから、解決が必要だと思いつつ取り組みました。
二、祖先祭祀の本当の心
こうして否応なしにこの問題について調べるうちに、祖先祭祀の本当の心を発見することができました。それは倫理的でよい動機に基づくものでした。すなわちそれは「生命をはじめた人に対する感謝」ということでした。
「君が今存在しているのは、生命をはじめた人がいたからで、それは信じる、信じないの問題ではなく、事実である。だから生命をはじめた人に感謝しない人は、人でなしであり、同族への反逆、背徳である。」(竹田聴洲『祖先崇拝』平楽寺書店」)
なるほど、反逆であり、背徳であるというから強烈になるのでしょう。でも私は、このことが分かったとき、内心、しめた! と思いました。祖先祭祀の心は「生命をはじめた人への感謝なのか……、そうか。それなら生命をはじめた方は、ご先祖ではない。進化でもない。ご先祖に子を産む能力まで与えられた創造主だ。創造主に感謝をささげている私たちの礼拝こそ、祖先祭祀を強烈に主張する人々の心なのか!」それで私は、生命のすごさ、生命をつくられた創造主のすごさについて、確信をもって丁寧に語ることにしたのです。
三、生命は偶然にはできません
本当に残念なことですが、我が国では進化論が事実であると教えられ、ほとんどの人が信じています。クリスチャンまでが、その影響を受けています。けれども生命は、全能者だけが造り得るものすごい存在なのです!
二〇〇二年四月七日付の産経新聞の「正論」で筑波大学の村上和雄名誉教授が「サムシング・グレートの不思議」と題した文章で次のように述べています。
「(しかし今、)世界の学者の全知識を結集しても、世界の富を集めて研究しても、大腸菌一つ元から創ることはできない。コピーならいくらでも可能である。なぜ、創れないのだろうか。それは大腸菌が生きている基本的な仕組みについて、現代の生命科学では、まだ手も足も出ないからである……と。」
私はこの「サムシング・グレート」なる存在を「グレート・デザイナー」と呼ぶことによって、聖書の創造主の理解に近づけることができると思います。
四、生命をはじめた方に感謝する
それは、生命をはじめた方が、ご先祖ではなく、ご先祖に子を産む力まで含めて、生命を与えた創造主であると分かれば、祖先祭祀の強烈な心は、当然、創造主に対してささげられなければならない。私たちは、創造主に生命を与えられた者ですから、生命を与えられた私たちが、生命を与えた創造主に従うのは、当たり前であり、感謝するのも当然であり、ほめたたえるのも当然である、ということです。
「(それはあなたが)私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。……」(詩篇一三九・一三以下)
祖先祭祀の本当の心は、この「あなた」に向けられるべきなのです。確信をもって生命の創造主への感謝を伝えることが、祖先祭祀の本当の心なのです。生命について学び、信仰と勇気をもって伝えたいと思います。