日韓国交正常化50周年を迎えて 取り返しのつかないこと

崔善愛
ピアニスト

戦後七十年を迎え、安倍首相が「談話」に、植民地支配、侵略への謝罪のことばを継承するかどうか、注目されている。私は勤めている大学の授業で、首相談話に「謝罪」の言葉をいれるべきか、アンケートをとった。大多数の学生が「韓国併合はよくわからない」「日韓条約」は知らない、と答えた。
その中に、こんな意見があった。

「『謝罪』も何も、日韓基本条約ですべて解決済みなので、もう何もいうことはないはずである。問題は、韓国が日韓基本条約を知らんふりをしている点である。もう一度、(韓国が)どうか見返していただきたいと思う。……日韓併合は、日本の長い歴史において、それほど重要な内容ではない」(大学二年)
「私は日本人なので、日本の立場からしか考えられないが、韓国併合は間違っていなかったと思います。いまの関係を考えるとお互い様だと思うからです」(大学一年)
「韓国併合は自然なことだったと思います」(大学一年)
「韓国併合自体は、別に悪いことではない」(大学一年)

さすがに私の心は、かき乱された。在日韓国朝鮮人が、「外国人と見なされ」ることで、国籍条項や参政権など、「基本的人権」が保障されないままこの国で生きていることを、訴え続けることに虚しささえ感じた。
一九五三年、対日講和条約の折、日本代表の久保田貫一郎は「日本が朝鮮に行かなかったとすれば、中国かロシアが入ってきただろう」と、植民地支配を正当化した。このような日本政府の発言は、若者にまでそのまますんなりと受け入れられている。「過去を克服する」どころか、「過去」を知らず、知ろうともしない、いや、「過去を拒絶」している。この延長線上に、ヘイトスピーチがあるのだろう。

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一九六五年、日韓基本条約が締結された年、ベトナム戦争が泥沼化し北爆が開始された。朝鮮半島は一九五〇年からの朝鮮戦争の休戦状態にあった。このような中で「日韓国交正常化」はなされた。
米ソ冷戦構造が戦後補償問題をも決定づけている。
一九四五年十二月、トルーマン大統領は、対日賠償使節団(ポーレー団長)を日本に派遣し、「日本の軍国主義の復活を不可能にするため」、「日本からの余剰の工業設備を除去し」、「それらの設備を日本の侵略を受けた諸国に移すこと」とした。日本は植民地支配による朝鮮人の損失を補償すべき、と誘導したのはあくまで米国であって、日本が自発的に朝鮮に対して賠償しようとしたわけでなかった。それどころか、韓国が「請求権」を求めれば、日本政府はその「証拠」と「法的根拠」を執拗に求めたという。 

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『いのちと責任』(高史明×高橋哲哉対談集、大月書店、二〇一二年)で高橋哲哉さんは、こう話した。
「私は、植民地支配のなかで起こったことは、やはり罪としかいいようがないと思うのです。日本人のなかには、正しいと思ってやった人もいれば、しかたがないと思ってやった人もいれば、あるいはこれが世の掟なんだと思い、強い者が支配するのは当然なんだと思ってやった人もいるかもしれない……けれども現実に起こったのは、ひとつの民族がもうひとつの民族を支配し、従属させ、名前や言葉、信仰までも奪うということです。これが罪でないといえるだろうか。罪であるなら、ほんとうは取り返しのつかないのだと思うのです」

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この高橋哲哉さんの言葉は、人間の良心の声として私の心の奥に響き続ける。
いつか日本が、「取り返しのつかない罪」をしたと認めたとき、真の和解は実現するだろう。