時代を見る目 112 主体性(3) 周囲の励ましと本人の意志で
野村 幸生
九州キリスト福音フェローシップ 香住丘キリスト福音教会 牧師
大学生の時、ボランティアの思いをもってある施設へ行った。そこには心身にハンディキャップをもつ方々がおられた。ある女の子がよろけながらも立ち上がろうとしていたので、私はその子のそばに行って、その子の両手をとって手伝おうとしたところ、すぐにその施設の職員の方が来て言われた。「すみません。やめて下さい。この子はもう自分で立ち上がれるのです。ただちょっと恐がっているだけですので、手伝わないで下さい」。
主体性の背後には、「ちょっと大変だけど、これくらいなら私にもできる。私にもさせてほしい」という「自信」や「誇り」がある。ただそれらのものは、自分一人だけで自分のものとすることは困難で、例えば、ある人が、何かを試みた時、家族や友人など周りの人からの温かい励ましというものによって、「自信」や「誇り」が養われていく。そして主体性も、周囲の励ましと、本人の自主的な意志とがうまく結びつくことで獲得され、養い育てられていくものでしょう。
教育学博士の宮本美沙子氏は『やる気の心理学』(創元社)で次のように著している。「子どもにとって有難い親というのは、痒いところに手がとどくような世話を次々にするような親ではない。子どもが試みたい時にはそのチャンスを子どもに与え、きっとできるだろうと信頼して見守ってくれる親、そして、子どもの方が承認や助けを求めた時には惜しみなく手を貸す親、というのが、子どもにとって有難い親なのである。このようなあたたかい配慮のある親のもとで、子どもは自立的に困難なことにも挑戦する勇気がもてるのである」
本人が自らめざめて求めるようになる前に、親などが先回りしていろいろと教えようとすることは、かえって自ら求める思いを失わせてしまうことがある。ものごとには「時」というものがあり、その時がくるまで「待つ」ことも必要なことではないでしょうか。
主体性を養うための日常的な出来事から一例を挙げると「朝、自分で決めた時間に目覚ましを使ってでも、自分一人で(人の手を借りずに)起きる」ことだと思います。一日の始まりである朝起きから、人に起こされていては主体的な生活とは言えないでしょう。朝一人で起きることは、主体性を養うために必要なことであり、周りの人はあえて起こさないことです。