時代を見る目 125 アイデンティティを失った男たち(1) 生きかたの基

大嶋重徳
キリスト者学生会 北陸地区主事

 ある時、男子学生がこう言った。「主事、自分は男性であることに自信がもてない。」私はこの時から、男子学生たちと「主が男性を創造された意味は何か?」ということを問い始めた。

 まず直面したことは男性ゆえの罪深さだった。ドラマで出てくる夫のセリフはいつもこうだ。「家のことはお前に任せたと言っただろ!」自らの家庭における責任を放棄し、妻に責任転嫁する男性の姿が目にとまった。

 アダムも同じようなセリフを神とエバに吐いている。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」(創世記3章12節)。私は悪くない。神様、あなたがこんな女性を置かなければ、私はこの実を食べることはなかったのに、と。

 先ほどまで「骨からの骨、肉からの肉」と語ったあの愛の言葉はいったいどこへいったのか。そして神からの助け手として備えられた妻を、「この女……」と蔑(さげす)む。平気で「神様、あなたのせいですよ」と語るアダムに、悔い改めの姿はどこにもない。男性の責任転嫁と悔い改めからの逃避行が、ここに幕を開けたのである。

 創造の初め、神は男性にのみ「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ」(同2章17節)と語られた。男性は女性に、これから「生まれて」くる家族に、「増えて」いく共同体に、神との契約を伝え、契約を守らせる責任があった。男性が失ってしまったものは、神様に責任を果たす姿勢、命懸けで契約を守る姿勢ではないか。

 まさにこれこそ、イエス・キリストの生きかたに見られるものである。ゲツセマネの園で「わが父よ、どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください」と血の汗を流しながら祈り、自らに託された責任から逃げ出さず、ただまっすぐに十字架の道を歩いていかれた。そしてサタンの「全世界を手に入れられる」という甘いささやきからも、言葉の剣をもって誘惑に打ち勝たれた。「ご自分を無にし、仕える姿を取」られたキリスト。さらにこの時代、蔑まれていた女性を愛し、愛の言葉を語られたキリスト。この方にこそ、創造のはじめに神が創られた男性のアイデンティティがある。

 このキリストの生きかたが、私たち男性の生きかたの基となっているだろうか。