時代を見る目 131 ニート(1) 受け入れるということ
右近勝吉
便利屋「右近サービス社」代表
「反社会的で享楽的。今が楽しければいい」「社会との関係を築けず、こもってしまう」「就職を前に考え込み、行き詰まってしまう」「就職したものの早々に辞め自信を喪失する」。以上が辞書にも記されているニートの四つの特徴です。
私の著書である『平凡な私が月300万円稼ぐ7つの理由』(東洋経済新聞社)を読んだニートの方が、「弟子にしてください」と私の事務所に来られます。「一生、働かせてください」と来た若者が、十日くらいすると「辞めます」と言って出て行かれます。一生礼拝に出席すると言っても一か月くらいで教会に来なくなる。イエス様を信じますと言いながら、洗礼は受けたくない。彼らは、とにかく堅苦しく型にはまるのが嫌いなようです。
常識がない、前向きでない、わがまま、気分で動く、それでいて言うことは立派。そういう態度で仕事をされてはたまりません。結局、就職も学業もせず、毎日ブラブラしているのです。
だからといって、教会はニートの方を受け入れなくもよいということにはなりません。ニートの方が来ると教会ではどのように接しているでしょうか。
ニートの人たちだけにではなく、クリスチャンの中には、「弱い人を受け入れる」と口では言いながら、教会にプラスにならなかったり、むしろ損をすると思われたりする相手に優しく接する人は、決して多くないように思います。
社会的な弱者であっても、クリスチャンであっても、そうでなくても神様の前では平等なのに、です。今の教会の姿を見たら、イエス様はどのように思われるのでしょうか。きっと悲しまれると思います。クリスチャンと言いながら私たちは、自分たちの生活レベルや、「常識」の範囲を越えた立場にある人たちの気持ちを、切り捨ててしまうようなところがあるのではないでしょうか。
そのように考えている中で、先日、ある教会で話をするように頼まれました。四十人の礼拝出席の全員が、引きこもりをしていた人たちでした。引きこもりの方を、偏見を持たず受けいれている牧師さんがおられることを知り、私は感激しています。