時代を見る目 132 ニート(2) 小さな奉仕を
右近勝吉
便利屋「右近サービス社」代表
先日、三十三歳で毎日ぶらーっとしている男性に会いました。家で突然、暴れだし、部屋からテレビ、パソコン、電話を投げ、ついに母親、父親を殴りました。助けを求める電話が、便利屋をしている私のところに入り、すぐに飛んでいきました。精かんな顔つきで、身の引き締まった美男子でした。
私も殴られるのが怖かったので、かなり離れたところから話を聞きました。すると、親から、病院に行きなさい、バカな話をしていても仕方がないと言われ、会話をすることをあきらめ、部屋に引きこもったとのことでした。何もやる気が起きない、やりたいとも思わない、気力がないとのことでした。その日、私は、私の家に来るようにとだけ行って帰ってきました。
友だちもいない、仕事をしても力が入らない、生きていても仕方がないと言う彼がかわいそうになりました。三時間くらい話をききました。宗教は助けてくれない。彼は、いろいろな宗教の集会に出席したが、何の役にも立たなかったというのです。キリスト教と言わなかったので内心ほっとしたものの、クリスチャンとして困っている人を助けたいなと思いました。
ニートといっても人それぞれです。その一人ひとりを大切にしていきたいと思います。今、私は二人のニートと暮らしています。何か指導したり、指示をしたりするわけではなく、一緒にいるだけです。何かをしようと思うと大変ですが、まず友となるということが大切なのだと思います。
ニートの人たちは何をするにも無気力です。でも、働かずにいるとますます深く考え込み、さらに深みにはまっていってしまうので、少しずつでも働きに出ることがいいと思います。
その一歩を踏み出す気力を出すことも大変なことです。彼らが、自分自身の価値を認め、自信をつけていくために、教会は小さなことからでも働き、奉仕を提供していくことができるのではないかと考えています。