時代を見る目 135 ひとりで生きる智恵(2) 独身者よ、熟考せよ
安藤理恵子
キリスト者学生会主事
「結婚しなければ自分の罪深さがわからなかった」「結婚して初めて人を愛することの難しさを知った」という証しを聞くと、独身者は重要な経験を欠落しているように感じる。たしかに独身者は既婚者の経験を知らない。しかし既婚者もまた独身者が知る人生の諸場面を知ることはない。誰でも割り当てられたひとりぶんの人生しか生きることはできないのだ。
独身者よ、あなたはどのような生き方をしたいのか。忙しさを言い訳にせずに立ち止まって熟考しなさい。人をうらやむことに流されないで、自分の生き方に責任を持ちなさい。
結婚には苦難が伴うだろうとパウロが心配していることも覚えておこう。現代の楽観的な風潮ほどにはパウロは結婚を手放しで励ましてはいない。結婚は幸福感とともに混乱と迷いを与えるからだ。結婚生活は神への集中力を分散させる。しかし夫婦が主の命令に従うなら、その家庭は現代の奇跡となる。「キリストに対するようにその人に従うか?」「キリストのようにその人のために死ぬか?」この問いに応答することは壮絶な罪との格闘だ。だからこそ、献身し合うために向き合う夫婦の存在は、生きた救い主の証しとなる。しかし、この祝福はクリスチャン夫婦みんなが得ているわけではない。「みこころの人」と結婚したとしても、みこころに従い続ける生活をしなければ、あなたの結婚は喧騒と疲労で終わる。今あなたが主への従順を学ばなければ、祝福を得ることはこの先もないのだ。
結婚したいのなら結婚できるように具体的な努力をしなさい。祈って待ちたい人は納得できるまで待ちなさい。出会いがないとなげく人は祈りながら探しなさい。
ただし、結婚は人生の一大事であっても、キリスト者にとっては一時的なことだとわきまえておきなさい。主が再び来られるときには、結婚という罪と時間に制限された人間同士の関係はもはや存在しなくなる。そのとき私たちは、かつての伴侶との比較さえ思いつかない、本来の花婿なる栄光のキリストをこの目で見る。夫婦の心身の交わりはこの神との交わりのささやかなモデルに過ぎなかったのだと、その愛の豊かさと確かさに圧倒されるだろう。そして短かった地上の歩みの、数々のばかげた葛藤に泣き笑うだろう。
将来を見据え、あなたが後悔しない生き方は何かをよく考えなさい。未来は聖書の言うとおりになる。その事実を訴え続ける神の細い声が、あなたには聞こえないのか。