時代を見る目 154 齢を重ねることの意味(1) エイジズム
岡村 直樹
東京基督教大学 准教授/日本同盟基督教団 神学教師
英語に「エイジズム」という言葉がある。「レイシズム」は人種差別、「セクシズム」は性差別を表すが、「エイジズム」は年齢差別を意味する。とくに高齢者への偏見やステレオタイプ的な見方を指すことが多い。それがもっとも顕著に現れるのがマスメディアである。テレビ放送に関連したある調査で、アニメ、ドラマ、ニュースの分野で、「高齢者は不健康」「高齢者は頑固」といったイメージを助長する表現が非常に多く使われていることがわかった。コマーシャルにおいても「若さ」や「行動力」が購買意欲を高めるイメージとして多用され、美容関連に至っては、「アンチエイジング」「マイナス五歳」「美白」といった、人の高齢化に伴う当然の変化を、真っ向から否定する表現が頻繁に用いられている。
核家族化が進んだ日本では、アジア諸国はもとより、欧米と比べても「お年寄りを大切にする」意識の低いことが近年の調査などで明らかになっており、敬老思想は希薄化している。逆に、高齢者の医療負担増や福祉の不安に加え、「エイジズム」に、まったく否定的な影響を受けない高齢者が多く存在するとは考えにくい。
以前、私は米国の教会で「エイジズム」に関連する研究をしたことがある。高齢の教会員へのインタビューなどで判ったことは、社会からだけではなく、教会内の「エイジズム」によって、精神的また霊的なダメージを受けている方がいることであった。本来、すべての兄弟姉妹が愛し、尊敬し合うことが教会の本分であるが、一般社会に蔓延する「エイジズム」の影響を受け、「老害」「ぼけ老人」などといった言葉が教会でささやかれることも多い。高齢者に対する批判の理由をその「年齢」にあるとするならば、それは「エイジズム」に他ならない。さらに高齢者よりも若い人の多い教会が「すぐれた教会」として見られる現状はけっして非一般的ではないと考える。私が数年前訪問した教会は、高齢の牧師が牧会する高齢者の多い教会であったが、その教会から受けた印象は「いきいきと成長する教会」であった。毎年多くの高齢受洗者が起こり、信徒の信仰の成長が顕著であったからである。
「お年寄りを大切に」といった抽象的な合い言葉ではなく、「あなたは年を重ね、老人となったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている」(ヨシュア一三・一)とヨシュアに語られた神の言葉の意味を、現代日本に生きる私たちひとりひとりが、また教会が再考しなければならない時を迎えていると強く感じる。