時代を見る目 163 企業倫理について考える
隠しおおせるものはないことを心に留めよう

林 晏久
元丸紅金属販売株式会社代表取締役/住吉山手キリスト教会前牧師

 最近の日本では、粉飾決算、賞味期限改ざん、産地偽装、再生紙偽装、贈賄など企業の違法行為が次から次へと明るみに出されている。二〇〇七年を象徴することばは、「偽」であった。今日ほど本物が輝きを失い、偽物が横行する時代はないであろう。

 これはいかなる結果なのであろうか。一つに、あまりにも過酷な競争主義が背景にある。超優良企業を含む全企業が、生き残りをかけてぎりぎりの戦いを強いられている。生産高、シェア、経常利益、株価など、いつも順位が競われる世界である。

 ここには、進化思想の強い影響を見ることができる。十九世紀半ば、ダーウィンが、『種の起源』を発表し、欧米世界は進化論討議に揺れた。進化論は、科学の世界での論議であるが、当時の産業革命という気運にも刺激されて、社会の中に取り入れられ、進化思想として蔓延していった。進化論の「突然変異、自然淘汰、適応」というプロセスは、「産業革命、弱肉強食、適者生存」という形で、強い者のみが勝つという進化思想を生み出した。その申し子として生まれた企業は、現在に至るまで飽くなき戦いを繰り返している。地球規模でそれが起こっている。

 私は、かつて商社に勤め、この飽くなき戦いの中に五十五歳まで身を置いてきた。企業にいれば、誰でも競争の世界に置かれてしまう。社外においては同業他社との競争、社内では他部署との競争、同僚との競争がある。この中に法律違反、規定違反からの誘惑は常にあった。私は四十一歳の時に、神の恵みによって教会に導かれ、イエス・キリストとの出会いを体験し、四十三歳で洗礼を受けた。キリストを知らない時代の私の価値観は、「表ざたにならなければ、多少の違反はやむを得ない」というものであった。「ばれないようにうまくやろう」と思っていた。しかしキリストに出会ってからは、「隠しおおせるものはなく、いつかは神の光によってあらわにされる」とわかった。また違反行為を隠している自分が、どれだけびくびくと恐れながら、生きていたかをまざまざと思い出す。キリストに出会い、「汝の敵を愛せよ」との山上の説教を心の耳で聞けた時、私はこの競争主義から解放された。

 キリストとの出会いは、過当競争からの解放につながり、コンプライアンス(法律遵守)は、あらためて意識しなくても身についてくる。