時代を見る目 166 現代の子どもたち (1)
何もしないことは虐待です

西村希望
単立・みどり野キリスト教会 ユースパスター

 数年前、朝の六時過ぎに警察から「お宅で預かっているA少年を保護しています。迎えに来てもらえますか」という電話が入りました。私は、すぐに迎えに行きました。そこには、一か月以上家出をしていたA少年が待っていました。彼と初めて出会ったのは、彼が小学五年生の時でした。明るくて愛嬌があり、誰からも好かれる元気な子でした。私も、彼が教会に来た時は特別にかわいがっていました。彼は、親に捨てられ、知り合いのおばあさんに育てられていました。数年が過ぎ、彼が中学三年生になった時、そのおばあさんが、彼の面倒を見ることができなくなり、教会で彼を引き取ることにしました。彼にとって教会での生活はなかなかなじめず、時には他に預かっていた子どもと金属バットで殴り合ったり、カッターで自分の体を傷つけたり、家出を繰り返したりという状況が続きました。ある日、警察がやって来て、彼を逮捕しました。家出をしている間に“おやじ狩り”をし、被害者を傷つけたためです。彼が出所した時、彼は別人のように変わり、「人生をやり直したい」と言いました。もう一度、一緒にがんばることを決めましたが、一か月もしないうちに彼は出て行きました。数か月が経ち、少年院に入らなければいけない事件を起こしたという連絡を受けました。自分が犯した罪は自分で償わなければなりません。けれども、私は、彼を責めることができませんでした。彼は悪くありません。本当に悪いのは、彼を捨てた親であり、彼に正しい教育を届けることができなかった大人だと思います。私たちに責任があるのです。

 虐待が大きな問題となっている時代です。年間百七十人ほどの小さな子どもたちが虐待の犠牲となり殺されています。そして、その何倍もの子どもたちが、生きながらも地獄のような苦しみの中にいます。虐待の中には「何もしないこと」(ネグレクト)も含まれています。子育てをしない親が増えています。できない親が多いのです。ひどい親になると食事も満足に用意しません。同じ服を何日も着させます。虐待を受けた子どもたちは普通の子どもたちと同じではありません。大きな傷を持ち、苦しんでいます。親の愛、大人の犠牲、サポートが必要です。クリスチャンの使命、教会の大切な使命は、次世代を育て生かすことです。彼らを見殺しにするのではなく、彼らのために献身することが、本来の教会のあり方ではないでしょうか。何もしないことは虐待です。主は、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」(ヨハネ一四・一八)と言われました。大人は一人でも生きていくことができます。けれども、子どもたちは一人では生きることはできません。今こそ彼らのために犠牲をはらう時です。