時代を見る目 174 牧師のメンタルヘルス (3)
牧会者の孤独へのケアという課題

堀 肇
日本伝道福音教団・鶴瀬恵みキリスト教会牧師 ルーテル学院大学非常勤講師

 こういうと驚かれる方もあるかもしれませんが、牧会者への牧会(パストラルケア)の中で最も留意しなくてはならないのは孤独・孤立を巡る心の問題です。孤独からの解放の福音を説きつつ、実は自ら孤独の中に、時としてその深みに陥ってしまう可能性があるというのが、この務めの危うさといっていいと思います。

 テーオドール・ボヴェーが『魂への愛と慰め-牧会的人間学-』の中で触れている指摘は、この問題の深刻さを伝えるものです。

 「牧師よりひどい心的孤立の中に生きている人はあまりいるまい。これは彼の悲劇である。教会全体は彼の心的・霊的資本によって生きようとする。が誰もあえて彼に何かを与えようとしない。人は彼に聖なる生活を期待するが、彼は他の人と同じような一人の人間である。しばしば牧師自身、この〈模範的〉な役割を演じなくてはならないと信じるが、そうなると彼は重い内的硬直状態に陥る」。

  牧会者にとって、このような孤立感や孤独感がどの程度の問題になっているのかは、各々の性格特性によっても異なります。しかし、その感じ方に個人差はあっても、職務の性質から考えて、孤独という内的現実は存在しているものと考えておかなくてはならないというのが私の臨床的見解です。

 問題なのは、常に人の出入りのあるような物理的、時間的環境におかれていると、少なくとも意識レベルでは、孤独感は隠*されてしまいますから感じにくいということなのです。しかし、そういう状態が恒常化していくと、かえって孤独に耐えにくくなり、反動的に(無意識のうちに)仕事に依存したり、人間に密着・依存してしまい、孤独を巡る心の奥深くの問題が置き去りにされる可能性があるのです。これは単に牧師や教師だけでなく、対人援助職に就いている人たちが抱えている問題といってよいでしょう。

 その意味で、孤独というものは覆い隠されてはならないのであって、むしろそれに向き合い自己と対話することが必要です。つまり「自分の心に語り、静まれ」(詩篇4・4)の実践です。そうした世界の中で神との親密な交わりが与えられ、寂しさ・孤独(ロンリネス)は独りでいること(ソリチュード)へと変えられ、対人関係も温かく、かつ健康的になっていくのです。現代の牧会者への牧会における急務は精神・心理的ケアはもとより、孤独を乗り越え、真に独りでいることができるよう魂の内奥へのケアがなされていくことではないでしょうか。