時代を見る目 186 子どもの虐待<3>
子どもたちのそばに

村田 紋子(むらた あやこ)
日本福音キリスト教会連合 朝顔教会:元児童養護施設職員 短大教員

 福祉の仕事に限らず、医療や心理等の対人援助の職業において、おそらく二つの大きな問題があるのではと常々感じています。一つは「代理受傷」「二次受傷」等とも言われる事柄ですが、支援者が相手の辛い体験を自分のことであるかのように受けとめてしまい、心の傷を負ってしまうというものです。仕事の中で、「なぜこんなひどい目に遭わなければいけないのか」、「自分は生まれてきてよかったのか」と、子どもから直接言葉で問われることはあまりありませんでしたが、子どもたちの通ってきた道筋の厳しさに言葉がなかったという経験は何度もしました。一人ひとりの体験が大変重いので、子どもたちに向き合おうとすればするほど、支援者自身が疲弊し傷つき無力感を感じてしまう危険は、常にあります。

 もう一つは福祉の仕事の中では、自分の内側を含め、人間の様々な弱さや暗い側面に向き合わざるを得ないということです。支援者は子どもたちやそのご家族に対していつも肯定的な感情を抱けるとは限りません。子どもによっては、施設に入ってから、今までの生活の中で押し込めてきた感情を激しい暴力として表現したり、盗みや自傷行為などを繰り返すことがあります。

 親御さんの中にも、子どもとの約束をいつも守れない方、次々と妊娠して子どもを施設に預ける方、子どもが就職した途端に名乗り出てくる方等があります。そのような状況では対応に疲れるだけでなく、支援者が子どもや親御さんに苛立ちや怒り、時には憎しみを感じてしまうこともあります。ボランティアや里親募集のポスターに「あなたの優しさを生かしませんか」というような言葉を見かけることがありますが、自分には「優しさ」や「愛」等は、本来ほとんどないことを痛感させられます。

 しかし様々な現実はありましたが、ふと我に返った時には次のみことばを繰り返し読みました。「あなたは……耳を傾けて、みなしごと、しいたげられた者をかばってくださいます」(詩篇10篇17~18節)、「生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です」(詩篇22篇10節)、「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる」(詩篇27篇10節)。神様ご自身が子どもたちの命のはじめと人生のすべてを知り、耳を傾けると宣言してくださっているのですから、これ以上のことはないなあ、と気持を取り直すのです。

 前にも書きましたように、子どもたちは施設にいる時だけでなく、一人で社会へ出て行ったのちにさらに多くの困難があります。少しでもそのような子どもたちのことを、覚えていただくことができれば幸いです。