時代を見る目 193 韓国併合100年を迎えて <1>
出エジプト記を支えに生きる
崔 善愛(チェ・ソンエ)
ピアニスト
「在日」は、ディアスポラ、離散した民といわれます。
私の父、崔昌華(チォェ・チァンホァ)牧師(1930~1995、朝鮮宣川[ソンチョン]生まれ)は、4代目のキリスト者でした。宣川は、“朝鮮のエルサレム”と称されるほどキリスト教が盛んで、そのために植民地時代、日本軍によって集中的に迫害を受けています。日本の総督府は1910年、寺内総督が宣川駅を通過する際に「キリスト者が総督暗殺を企てた」という容疑をでっちあげ、全徳基(チョンドッキ)牧師他4名を拷問で殺し、105名のキリスト者が有罪として投獄されました。朝鮮のエルサレム宣川は日本によって迫害され続けたのです。
1945年に朝鮮半島の独立が復活してまもなく、中国とソ連から共産主義が入ってきたとき、教会の青年会の会長として父は共産主義学習会へ出席しなかったことを理由に、教会の牧師や長老とともにソ連の秘密警察に逮捕され新義州(シンイジュ)刑務所の独房に入れられます。1946年11月13日、父は16歳でした。獄中の壁には「殉教者たちよ、力強く闘っていこう」と書かれ、それはかつて「神社参拝」を拒否して投獄された牧師たちの書き残したものでした。拷問をくりかえし受けながらも、力強く書かれたその文字を見ながら、父は自らの信仰を問い、鍛えられたのかもしれません。半年後、17歳になり未成年という理由で釈放されましたが、ともに投獄されていた教会の牧師も長老もシベリアへ連行され帰ってくることはありませんでした。このような体験から父は、「良心的な牧師はみな獄中にいる」という、権力者に屈しない信仰を持つようになります。
このように朝鮮半島のキリスト者は、大日本帝国による植民地時代には神社参拝、君が代強制と闘い、独立後はソ連軍によって迫害されました。また、韓国の朴(パク)軍事政権下で民主化運動を引っぱっていたのは多くのキリスト者でした。この迫害の歴史の中、朝鮮の多くの教会の礼拝説教ではしきりに「出エジプト記」が語られていたと、最近になって聞いたことがあります。1954年に渡日した父が64歳で亡くなるまでの35年間、日曜礼拝の説教でひんぱんにとりあげた聖書も「出エジプト記」でした。朝鮮半島だけでなく、在日のキリスト者も「出エジプト記」とともに100年間、闘い続けてきたのです。韓国併合100年という節目の今、「出エジプト記」を信仰の支えに生きる在日1世の姿は、日本のキリスト者にどう映り、どう受けとめられるでしょうか。