時代を見る目 210 3・11――あの日の記憶、そして今 [3]

伊藤 公一
宮城県 大和町立鶴巣小学校長

シーサイドバイブルチャペルあたって砕かれた黒い大津波は、地上の建物すべてをのみ込み、蒲生地区民全員に絶望の悲しみを与えて、中野小学校だけを残して海に帰っていきました。
陸の孤島となった小学校の屋上には小雪が舞い、浸水した校舎に残された児童と避難民600名は、大きな余震が続く中、防寒用毛布もない真っ暗やみの一夜を過ごしました。
その中でも、私の心は平安でした。妻の美恵子と息子の悠は多賀城市の自宅で、愛美と聡はロンドンと埼玉で、避難民600名の人たちの守りのためにとりなして祈っていてくれていたのです。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10・13)
翌早朝に自衛隊員の2次避難指示を受け、午後2時には救助ヘリとバスのピストン輸送で取り残されていた小学校から、無事に全員避難完了しました。

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先に帰宅し、安否不明だった児童46名の中には家や祖父の車ごと流された児童、流れてきた看板につかまり、仙台湾を横断した児童などもいました。ですが、主の揺るぎない守りのみわざによって、震災3日後に全児童155名の無事が確認できたのです。「主よ、本当にありがとうございます」と、心から主の御名をほめたたえました。
この大津波ですべてを失った蒲生の人々、両親や片親を亡くした児童、祖父母を亡くした児童もいます。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる」(詩篇37・5~6)
私は主の御手の中で、守られて助かった蒲生地区の皆様方と子どもたちが、主イエス・キリストのまことの光に照らされて、朽ちないいのちが与えられるようにとりなして祈っていきます。