時代を見る目 217 3・11――あの日の記憶、そして今 [10]
石黒涼子
ミッション東北 福島聖書教会
震災時、私は福島市の自宅で生後3か月の娘を抱いて「神様、助けて」と叫んでいました。間もなく主人や牧師に助けられ、続く余震、ライフライン停止と、尋常じゃない出来事の中、教会で避難生活を送ることにしました。
数日後、原発事故が発生し、すぐに娘のためにも避難しなければならない状況になりました。当時、福島市も放射線量が高かったのですが、国からの指示はなく、情報不足、震災直後でライフライン復旧も間々ならず、避難すべきかの判断は個々にゆだねられていた状況でした。ガソリン不足でどこまで避難できるのか、小さな娘を抱えて大丈夫なのか、まるで、戦争が起きるから避難するような、死をも覚悟するといっても過言ではない恐怖感にさらされました。しかし、神様は、わが家にふさわしい避難の道を開いてくださり、私たちは、不安を覚えながらも、その道を進むことにしました。
多くの方々の厚いご好意に支えられ、山形、東京で約1か月半の避難生活を過ごすことができました(主人は途中まで一緒でした)。
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福島市での生活に戻ってからは、神様に祈り、食生活や遊び場の確保など、あらゆる知恵をもって、気をつけて日々を過ごしています。しかし、放射線物質と隣り合わせの生活で、不安や不自由なことはつきものです。家庭の事情や経済的理由などから、完全に子どもを守りきった生活には至っていません。例えば、除染できたのも一部分で、自分たちだけではできない家の周りはできていません。食材も確実に安全なものばかり選んでいたら生活費に影響するので、試行錯誤しながら対応しています。できないことにおいては、もう神様にひたすら「娘の将来に影響がないように守ってください」と願うばかりです。
こういった中、キリスト者関連からのサポートを数々いただき、とても助けられています。この原発の課題は、30年以上という長期的なことなので、風化せず、国や東電が真剣に取り組んでほしい、様々な機関で効果的なサポートが継続的にあってほしいと願っています。そして私も、あらゆる不安に負けず、全知全能であり、愛のお方、イエス様に信頼し、福島のまことの復興を祈り続けていきます。