時代を見る目 221 私の出会った子どもたち [2]「不登校」を考える
竹本克己
元 千葉県小中学校教諭
北海道教育大学 教職大学院教授
私のクラスの中学1年のA男は、腹痛を訴え保健室へ行くことは度々あったが1年間で欠席日数は3日。しかし、2年になって担任が女性教諭に替わってからは、12月までの欠席日数は21日。1月に学級の清掃のことで担任が激しくクラス全体を叱った。その翌日からA男は学校へ来なくなった。
PTA副会長で外向的なA男の母親と、厳しく指導する女性教諭の個性がぶつかり合う中、私は学年主任として、A男とA男の周辺の人々と関わった。
母親は他のPTA役員を動員して校長、教頭にまで担任批判をくり返し、担任はA男が神経質なのは親の養育態度が原因で、親が変わるべきだと反発する。私は時間を見つけてはA男の家を訪問し、一緒にテレビゲームをしたり、時にはA男の寝ている布団に潜り込んで狸寝入りもした。クラスの子どもたちの手紙を届けたり、学年の他の教師の助けも借りてA男と家族に関わった。担任を車に乗せ、毎朝家庭訪問をくり返した。
それまで、おとなしくあまりものを言うことのなかった父親が担任に関して母親と意見がぶつかり、夫婦喧嘩になり、障子の桟が折れるほど物を投げ合う騒動の中、A男は「もう人の世話にならないで自分で学校へ行く!」と叫び、翌日の夜、私と一緒に誰もいない夜の教室に行った。A男が休み始めて57日経っていた。
厳しかった女性教諭はストレスのため学校を休んでいた。次期PTA会長と思われていたA男の母親は、PTAの役員をすべて降りた。中学3年で担任が替わったのを機に、A男の中学校生活が再開し、1年後卒業していった。
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1998年度以降、未だ全国の小中学校の不登校児童生徒は10万人を下らない。不登校は本人の問題と捉えがちであるが、学校生活に起因する教育的要因や、家庭生活に起因する福祉的要因もある。近年は児童虐待からの不登校、発達障害に起因する不登校などが指摘されている。学習を確保し、人間関係を学ぶためにも、子どもたちに笑顔で毎日登校してほしいと誰もが願っているが、一番そうしたいと願っているのは子どもたち自身である。
犯人捜しをして「不登校」という現象をなくそうとする前に、様々な環境の中で感受性豊かな子どもたちが「不登校」という表現で発信しているメッセージを学校・家庭・教会はしっかりと受け止めなくてはいけない。