時代を見る目 230 時のしるしを見分ける [2]
水草修治
日本同盟基督教団小海キリスト教会牧師
「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。『二度とこの道を帰ってはならない』と主はあなたがたに言われた」(申命記17・16)
聖書の世界では、ロバは平和の象徴、馬は戦争の象徴である。したがって、「馬をふやすな」とは軍国化に対する戒めである。では、「馬をふやすために民をエジプトに帰らせる」とは何を意味するのか……。アブラハムの時代から、カナンの地はたびたび東方の大国の軍事的侵攻を受けたので、イスラエルは大国エジプトと安保条約を結ぶことによって、これに対抗する政策を取った。ソロモン王が、エジプトの王女を妃として迎えたのもそういう意図だろう。だが、「馬をふやすために民をエジプトに帰らせる」ということばの内容が、筆者にはなお不明瞭だった。
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だがこの夏、信州で行われた信州夏期宣教講座で、この疑問に対して、渡辺信夫牧師から明快な答えをいただいた。これは、「馬をエジプトから得る代価に、民を奴隷としてエジプトに売り渡すことを意味している」と。
ひざを打った。だがいくらなんでも、そんな酷いことを王がするだろうか、とも思った。しかし、考えてみれば、日本は戦後ずっと沖縄の人々に対してこのことをしてきたのである。
日本国憲法が施行された直後の1947年9月中旬、昭和天皇は共産圏からの軍事的脅威に対処するため、米軍の基地として沖縄を占領し続けることを願うメッセージを米国国務省あてに送った。
「寺崎(御用掛、寺崎英成)が述べるに天皇は、アメリカが沖縄をはじめ琉球のほかの諸島を軍事占領し続けることを希望している。……天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の―25年から50年ないしそれ以上の―貸与をするという擬制の上になされるべきである」(進藤榮一「分割された領土」『世界』1979年4月号)
昭和天皇は、ついに死にいたるまで沖縄を訪問できなかった。だが国民主権の国である以上、これは昭和天皇ひとりの罪ではなく、また過去のことでもなく、今、私たち自身の罪でもある。