時代を見る目 250 暮らしのプロセスで [1] 子どもと家
菅原哲男
社会福祉法人
児童養護施設 光の子どもの家 理事長
「光の子どもの家」は家庭に何らかの事情があって家族と一緒に暮らせなくなった子どもたちのための、暮らしながら成長していく施設である。
5月4日、よく晴れた光の子どもの家の園庭に、今暮らしている子どもたちとその友達、そして10年以上前に卒園した大先輩である卒園生の姿も多くあった。多くの卒園生たちは自分の子どもや連れ合いなどを連れてきていた。31年前にここを利用した姉妹も叔父叔母とともに来てくれた。
この日は光の子どもの家創立以来続けてきている「子ども祭」の日である。
日頃忙しくしている子どもたちが、学習や部活などの一切のことから解放されて、したいことをしてもいい日としている。そして職員たちは、そんな子どもたちのしたいことを実現するためのサポートに徹するのである。
高校生は、舞台を作り歌と踊りの発表をしてくれた。幼児たちは佐俣のおばちゃんと草餅を作る予定だったが上手くいかず……。小学生は園庭の中心の大きなけやきの根方に、丸い花壇を作った。そんな具合に、年齢の近い者たちがお客さんを喜ばせるために、心と力をフル回転させてこの日を迎えたのだった。
子どもたちは何をしてもいいはずなのに、いざ「何をしてもいいよ」と言われると、だれかを喜ばせたくなることをするものであることを、「子ども祭」30回目になるこの日も再確認させられた。
さて、この年が明けてからこれまで、少年にかかわるむごたらしい事件が相次いで報道された。年明け間もないころの川崎市の中学生殺人事件。まだ記憶に新しい千葉県の18歳少女生き埋め事件などである。光の子どもの家にいる子どもたちと同じような年頃の子どもたちの事件である。違うのは、大人になっても帰って会いたい人がいる家を持っている子どもと、帰ってもだれもいなく、歓迎されることのない家の子どもという点だけである。
私たちは、「子どもたちが早く帰りたくなるような食卓を囲む家の暮らしを作ろう」と心してきた。
家は暮らし=lifeの場である。lifeはいのちである。いのちの積み重ねである暮らしは生涯=lifeを形成していく。それが暮らしであると考えて、暮らしを大事にしてきた。暮らしが子どもたちにもたらす影響の大きさを再確認し、さらに大事にしなければならないと深く思った1日であった。