時代を見る目 251 暮らしのプロセスで [2] 母の日に
菅原哲男
社会福祉法人
児童養護施設 光の子どもの家 理事長
「光の子どもの家」での子どもたちの生活は、普通の家庭と変わらない少人数で構成された〈家〉で営まれている。設立当初から1名の担当者が5名以下の子どもたちを担当する「責任担当制」による暮らしを養育の基本単位としており、それぞれ「~家」と呼ぶようにしている。
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この十数年続いているが、母の日に、かつて担当してくれた保育士のもとに三々五々、それぞれプレゼントを抱えて卒園生がやってくる。
今年も「倉澤家」には、卒園してからもずいぶん手を焼かせた30代の女性が息子3人と連れ合いを連れて、またある者は小さな子どもと、そして結婚に至っていない数名が集まって、さながら大型の井戸端会議のような有様になった。そんなごちゃごちゃしたクラス会の3次会状態を、創立の時から中心的に光の子どもの家を作ってきた1人である倉澤は、うれしそうに話を盛り上げ、プレゼントなどを大事そうに受け取っていた。
倉澤保育士は、ほかの3人の保育士とともに創立の時からこの働きに参加してきた者である。交代勤務を排した「責任担当制」というかなり時代離れしてしまった、子どもへのかかわりを愚直にやってきた光の子どもの家の働き方を30年も積み上げて、このときは年に一度のうれしい主役となるのである。ほかの家にも、大小さまざまの母の日の集まりがあったのはもちろんである。参加した子どもの1人が、「本当の母にも一生に一度のこの日ぐらい、こんなふうに『お母さんありがとう』って言ってみたい」と、目を潤ませた。いつの日にか実現させたいと、もう1つの働きを増やした日でもあった。
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ところで、アメリカの母の日は、今から約150年前、南北戦争が終結した直後の1870年から始まったとのこと。夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが立ち上がり「母の日宣言」を発した。今、この国では非戦の憲法を持ちながら、地球上至る所に兵隊を送ろうと国会で審議中である。女性参政権運動家ジュリアの出現が今こそ待たれることしきりの昨今である。