時代を見る目 85 希望ある者として

時を刻む目盛り
碓井 真史
新潟青陵大学 看護福祉心理学部 教授

 少年非行は、かつての生活苦からの「生活型非行」はすっかりなくなり、非行を通して、スリルや仲間とのつながりを求める「遊び型非行」がしだいに増えていきました。さらに、近年目立つようになったのは、表現としての非行とか「自己確認型非行」と呼ばれる、新しいタイプの非行です。

 「万引きをしているときだけ生きている実感がある」と語る少年がいます。「人を殺す体験がしたかった」と言って殺人を犯した少年もいます。昔からの非行少年は、攻撃的、外向的で、不良仲間を集め、まるで遊びを楽しんでいるように日常的に悪いことを繰り返します。ところが新しいタイプの非行少年は、むしろ内向的、依存的で、ワルの仲間すら集めることができません。少年たちの中には、自分の存在感を示したいと思い、凶悪犯罪を起こす人間もいます。彼らには、罰もあまり効果はありません。

 罰は、人に何をしてはいけないかは教えても、では何をすればよいのかは、教えてくれないのです。犯罪を通して得られる歪んだ満足感ではなく、真の喜びと希望ある人生を彼らに教えなくてはなりません。非行少年だけではなく、私たちの社会全体に蔓延している虚無感、無力感を打ち破るにはどうしたらよいでしょう。恵まれない環境で絶望している劣等生。あふれる物に囲まれながらゆううつな思いに沈む優等生。基本的には、大人も同じでしょう。

 心理学的に見て、人がやりがいを持って生きるために必要なことは、努力が報われる環境、自由に自己決定できる心、他者とのあたたかな交流です。クリスチャンには、それがあるはずです。主にあって、すべての労苦は無駄にならない希望。十字架による解放。そして主にある兄弟姉妹がいて、敵のためにさえ祈ることができるはずです。

 「犯罪」は、私たちの心を攻撃します。凶悪少年犯に愛など感じられず、希望など持てず、追放したいと思う。たしかに社会のルールを破る少年の行動は、問題行動です。でも、少年を更生ではなく追い出そうとする大人の行動もまた問題行動です。今、アメリカ同時多発テロと、その報復攻撃のニュースが世界を巡っています。テロリズムは、私たちに恐怖と不安と過剰な復讐心を駆り立てようとする、まさに心の戦争です。犯罪に負けないというのは、毅然とした態度と共に、私たちが信仰と希望と愛を持ち続けることなのです。