時代を見る目 87 イスラム教のはじまり
村上 隆一
福音伝道教団 福音キリスト教会牧師
イスラム教発祥の地はアラビア半島で、西部には紅海があります。紀元70年ローマ軍に滅ぼされ、離散したユダヤ教徒が半島にも住み着いていました。また4世紀、キリスト教の異端として退けられたネストリウス派が伝道活動を行い、それが半島にも及んでいました。ここにマホメットが生まれた(570年頃)メッカがあります。当時人々は、それぞれの部族の神々を信仰し、また部族間の争いがたえず、不安定な状況が続いていました。商人として成功したマホメットは、洞穴で瞑想中に啓示を受け、しばらくしてその啓示を人々に伝えるようになったと言われます。
キリスト教徒から見れば、内容の多くは聖書に負っているようにも思えますが、その理解には本質的な相違があります。アッラーを唯一神と信じ、世界はアッラーの創造の結果であり、すべては人間への恵みである。復活を信じ、最後の審判のときが迫っていると説いた。礼拝と貧しい人への施しは、神の恵みに対する感謝の表れとして、すべての人の義務である、などというものです。最初は、経済活動と伝統的宗教が結びついていたメッカの人々の反感を買うだけでしたが、やがて受け入れられるようになります。このときのマホメットの説話が、死後収録され、コーランとなりました。いくつかの異本がありますが、いずれもアッラーがアラビア語で語った言葉をそのまま一字一句誤りなく記録したと信じられています。翻訳されたコーランは神の言葉とは認めません。改宗者は、まずアラビア語のコーランを理解することが求められます。今日では日本語で読むこともできますが、聖職者は今も、アラビア語で学びを受けます。
イスラム神学が成熟するにつれて、多くの学者が登場します。保守的な伝統主義者が多数派で、スンニ派と呼ばれます。そして傑出した学者の数だけ分派が発生し、その数は百を越えるとも言われます。その後19世紀末になって、西洋の帝国主義の脅威にさらされ、それに対抗するために西欧化政策を取り入れます。しかし、そのほとんどが失敗し、近代化の流れの中で、危機的状況が続きます。そこにコーランを一面的に解釈し実践する極端な教条主義、原理主義が台頭します。このイランに始まるシーア派の運動は1970年代になって、いよいよ旗印を鮮明にし、各地にも飛び火し、いよいよ過激になっていきました。