時代を見る目 89 「やりたいことがわからないんです」

山崎 龍一
キリスト者学生会(KGK) 事務局長

 大学を卒業しても就職しない学生が増えている。キリスト者の学生も例外ではない。彼らは概して「有能」な学生であり、不況のゆえに就職できないのではない。そんな彼らの共通のセリフは「やりたいことがわからないんです」である。彼らの親は、クリスチャンであっても、いざ自分の子どもの就職となると、「大企業に就職して安定した生活」を願う。どこかにウソがあることを学生は感じている。信仰で生きることを励ましてきた親が、進学や就職になると「世の常識」や「大企業信仰」に変質し、「やりたいことをするのは学生まで、これからは社会の中で忍耐をもって」と。就職時に突然「忍耐」というメッセージを送っても、遅かりし……なのである。

 また就職して数年で仕事をやめる人も増えている。彼らは「自分に合わない会社」だから辞めるという。就職しない学生も、すぐに会社を辞めてしまう青年にも共通なのは、「自分探し」だ。自分が「いきいき」できる場面を求めているのだ。仕事もまた、自分を発見する手段になり下がっている。たしかに青年期は「自分とは誰であり、どんな存在意義を持っているのか」という自己確立の課題に悩みながらも取り組む。そこから人格的な成熟が生まれる。しかし、彼らは「悩むこと」は不信仰であるというメッセージをいつの間にか受け取っている。そして「不信仰にならないように」悩むことを軽視する。人格的成熟を経ない青年が「いきいき」働くためには、周囲の環境が整うまで、つまり「悩まない仕事」が得られるまで決定を留保し、探し続けてしまう。

 これは就職の問題ではなく、福音による自己理解の問題であり、人格的な深い満足を持つことのできない学生の「叫び」が、未就職ということにつながるのだ。大人たちにはその「叫び」は聞こえず、「近頃の若い者は……」「クリスチャンの青年は考えが甘い」とため息をつく。そしてますます、お互いの溝は深まってしまう。彼らは、仕事に積極的に意味を見出し、キリスト者として歩んでいる「大人」にほとんど出会ったことがないという。仕事の困難に立ち向かい、悩み、葛藤しながらも、神様から与えられた使命を果たす深い満足を得て歩んでいる大人に出会っていないというのである。教会の壮年たちが人格的な交わりを通して、キリスト者が働くことの意義、すばらしさを福音によって青年に語ってほしいと願っている。