時代を見る目 93 子どもたちの心とオカルト的ファンタジー

田村 昭二
日本同盟基督教団 豊川中央キリスト教会 牧師

「『となりのトトロ』を一日に五回も見てる子どもたちがいる、などという話も聞きますが、自分たちで売っておいて何ですけれど『そんな時間があったら外で遊べ!』と言いたい。僕自身すごくジレンマがあるのですが……。アニメやゲームに熱中し過ぎるのを大人なり、親が止めなきゃダメでしょう。」

 これは、「千と千尋の神隠し」でベルリン国際映画祭でグランプリの金熊賞を獲得した宮崎駿監督の弁である。自身の作品も含めてファンタジーの世界で育っていく子たちの将来は、極めて憂えるべきものであると彼は言う。この映画に見られる自分探しをする子に「生きる力」を与えて、助けようというねらいは理解するとしても、内容的には完全にオカルトの世界であり、その舞台は日本の精神的故郷、多神教的な世界に基づいている。テーマが良いだけに、子どもの柔らかい心は、オカルトのファンタジーが作り出す怪しげなバーチャルな世界に容易に引きずりこまれてしまう。現に映画を見た直後の感想として、その中に入り込んでともに活動したい衝動に駆られながらも、それができないもどかしさを訴える子もいたという話を聞く。たしかに自分探しの冒険からくる「生きる力」をそこから感じ取ったとしても、同時に汎神論的多神教の神々をも感じ取ったはずである。そしてこの映画は国際的に認知されたわけだから、今まで以上に強烈な影響力を子どもの心に行使することになる。今は大人が世界的にそれをバックアップした形になっている。

 島田裕巳氏が著書『信じやすい心』(PHP研究所)の中で、現代の青年が超能力やオカルトに関心があるのは、精神的に成長するとともに薄れていくはずの子どもらしい関心が、二十歳を過ぎても持ち越されているためではないかという。ファンタジーの第一人者宮崎氏自身が、自らの製作したファンタジーを含め、その悪影響を警告することばに耳を傾けるとき、クリスチャンとして、幼い隣人のためにも意識してオカルト的ファンタジーは避けるべきではないかと思う。

「あなたが占領しようとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきたのは確かである。しかし、あなたには、あなたの神、主は、そうすることを許されない。」(申命記一八・一四)