死といのちを見つめて 混沌とした難しい時代にホスピス
大規模災害、原発再稼働の流れ、安保関連法案可決、多死社会の到来など、生死を語らざるをえない時代が来ている。わが師匠、柏木哲夫先生は「ホスピスケアとはその人がその人らしく尊厳をもって人生を全うするのを援助すること」と話された。筆者はホスピス医として、師匠の言葉を胸裏に刻んで、がんの末期を生きる人たちと出会っている。そんな中で、ホスピス医師の大きな役割は悪い知らせを告げることと希望を示すことだと思うようになった。
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悪い知らせとは、病を治すことができないことや死が迫っていることである。病名告知とか予後告知と呼ばれている。人生を全うすることがホスピスケアなのだから、病気の性質やこれから先の見通しを患者さんに必要な情報として伝えるようにしている。もちろん、先の見通しは不正確にならざるをえないところもあるが、人生の締めくくりを共に過ごすためには、避けて通ることはできない。希望とは、生死を貫いて遺る人たちの生きていく力になる「いのち」に気づいてもらうことである。生命物質の生命活動としての個人的生命の終わりが来ても、「いのち」が受け継がれていくことを読み取ることができれば、死者は遺る者の中で生き続けることができる。
ホスピスで過ごす患者さんの大きな悲しみは、生きたいと願っても生きることができない、あるいは死にたいと願っても死ねないところにある。
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三十代女性の胃がん患者さんが入院してきた。八歳の一人息子がいた。入院したときの容態はかなり悪く、余命は一週間程度と予測した。本人はおおよそ分かっていたが、息子には知らされていなかった。夫と相談し、医師の口からこのことを息子に伝えることにした。面談室で、夫と息子に「お母さんはもう家に帰ることはできない、このまま病院で死んでしまうかもしれない」と話した。父親の背中に隠れて窺うようにこちらを見ていた息子は、そのことを聞いて父の背中に顔をうずめて涙をこらえていた。
「お母さんが楽になって○○君とお話しできるように、先生や看護師さんはがんばるから、○○君も一緒にがんばろう」と続けた。こっくりとうなずいた息子は一足先に母の待つ病室へと向かった。
三日後、患者さんは亡くなった。息子は泣きじゃくりながら「ありがとう」と母に向かって最後の言葉を絞り出した。
ホスピスを後にするとき、息子は母親の受け持ちだった看護師と手をつなぎ、しばらく離すことができなかった。
ホスピスは、死と向き合う中で普通の日常生活では気づけない自らの足下に目を向けさせてくれる。大自然の包容力、人間の有限性やひとりで生きているわけではないことに気づかせてくれる。神が創造された「いのち」に結ばれて生きていることを。
ホスピススタッフには患者さんに起こっていることが他人事のようには思えない。限りのある時間をいかにして過ごすのか、このテーマは生老病死という人間の宿業をそのまま映し出す。患者さんの姿を通して自分自身の惨めさ、情けなさ、甘さなどの弱さを思い知らされるのである。
ある患者さんはこう言った。「先生たちは動けるからいいですね」。動けないこと、自分の生活を他者に頼らなければならないことはよほどつらいことなのだろう。それに比べると、他者のために時間を使っているわれわれは幸福である。自分のために使う時間は小さいが、他者のために使う時間は大きい。
この患者さんはホスピスで過ごす中に「私は十分生きたけれど、小さな子どもさんを遺す方はつらいでしょうね」。しみじみと語った。
大きな時間を生きていきたい。何が自分に受け継がれ、何を次世代に託すのか、混沌とした時代の中でわれわれは日々問われている。