生き方の達人 日野原重明&星野富弘の対談から -1 生き方を説く証し人のすがたに感動

鴻海 誠
フォレストブックス編集長

 二〇〇六年四月、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが、群馬県みどり市(旧・勢多郡東村)に詩画作家・星野富弘さんを訪ねた。

 渡良瀬川の上流にある草木湖の畔にたたずむ富弘美術館を訪れた日野原さんは、初めてお会いする星野さん夫妻の案内で、彼の作品を一点一点見て回りながら、わき出る感動を隠そうとされなかった。

 聞けば日野原さんは、星野さんの最初期の詩画集『風の旅』が世に出たころから、その作品の並々ならぬ力を認め、これまで講演や自著でも彼のことを頻繁に語ってきた。もともと同じキリスト者としてふたりには、人生を語るうえでの価値観や使命感など、共通するものが多い。作品鑑賞の後にもたれた対談(みどり市・童謡ふるさと館にて公開)は、自ずと親近感に包まれて、弾んだものとなった。

 会場は、東京から三台の大型バスを連ねて来たツァー客も加わって、四百人の聴衆でふくれ上がっていた。

「日野原先生との対談のお話があったとき、どうしようかと。昔から、医者とお巡りさんはおっかなくて仕方がなかったんです」

「(笑)私はね、子どものときから、医者のイメージはあなたと違うんですよ。牧師の貧しい家庭でしたが、病身の母を、小児科の先生は往診代もほとんど取らずに診てくださった。学生時代には、シュバイツァーの伝記を読んで感動して……」

話は、医療や健康をめぐる話題から、互いの人生観へと広がっていく。

「私たちの人生というのは、マラソンの折り返しよりもサッカーの前半と後半に似ているね」

「サッカーですか?」

「そう。……団塊の世代で、だいたい来年、再来年に仕事を引退という方が大勢いらっしゃる。それからの人生は今までのくり返しではないはずでしょう。後半戦が新しく始まるわけです」

「ハーフタイムの作戦立て直しですね」

「私の場合は、今のあなたと同じくらいの、あと数か月で六十歳になるというとき、日航機・よど号ハイジャック事件に遭遇した。人質から解放されて、もう一度大地を踏んだ経験が、その後の生き方の転換をさせてくれました」

「私は二十四歳で大怪我をして、そこから人生が変わっていったと思います。はじめは、こういう何の役にも立たない人間が生きていていいのかと思った時期もあったのですが、どんな人間でも、どんな状態でも、人は神さまに必要とされている、大事にされている。聖書を読んでそう気づいて、生きていてほんとうによかったと思いました。 ……でもこういう体ですから、長くは生きられないだろうと思っていましたら、もうあさってには六十歳なんです」
 おふたりは、それぞれの道で秀でた人物というだけでなく、人々に生きる道を説く達人でもある。現代は「生き方の病」にかかっている人々が多い、と日野原さんは言う。それが、引きこもりや自殺、家族の断絶といった哀しい現象を生み出しているのだろうか。だからこそ、このふたりのような存在が多くの人に求められているのかもしれない。