生命の危機の時代に 神さま、命をありがとう
坂本 ふぁみ
単立 東京パラダイス・チャーチ 牧師夫人 絵本「ちいさなリース」著者
創造主のみわざ
「ほら、赤ちゃんの心臓が元気に動いていますね」。医師の指さすところに目を凝らすが、その米粒ほどの小さな白点が果たしてそうなのか……? 超音波機器のモニターに映し出された初めて見るわが子は、その時わずか八センチ。私の胎に宿ってまだ八週目だというのに、この小さな命は、もうすでに脊髄、脳、眼、聴覚器官、心臓、胃腸、肝臓などができあがり、間もなく顔の形まではっきりしてくるというのだから驚きだ。これが創造主なる神さまのみわざでなくて何であろう。
母親である私には、自分の胎の中で何が起こっているのかまったく分からない。ただ「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し……」(エレミヤ一・五)と言われる神さまが、胎児に命を与え、内臓を造り、骨を組み立ててくださっているのだ。何という神秘だろう。
生きる権利は平等に
聖書は明確に、私たち一人一人は神さまが計画をもって造ってくださった作品なのだと教えている。しかし悲しいことに私たちの国、日本では、胎児の三人に二人、四人に三人が人工中絶によって闇に葬り去られている。その数は何と一年間で約五百万。一年間の交通事故死亡者数を一日で越えてしまう勢いなのだ。中絶には様々な事情があろうが、自分勝手な都合も決して少なくないはずだ。親の都合で、胎内にいるわが子を殺す。一人一人を愛しんで命を与えられた神さまは、その光景をどのように見ておられるだろうか。
「不幸な子を産まないために」という名目のもとに、最近急速に「出生前検査」が普及し、胎児の性別や異常を調べて中絶してしまうケースが増えている。医師に勧められるまま検査を受け、百二十五分の一パーセント、胎児にダウン症の疑いがあると診断された私の友人は、「産みますか、どうしますか」と質問され、大いに悩んだと正直に話してくれた。親ならば、生まれてくる子どもの五体満足を願わない者はいないだろう。しかし人間が人間に対して「あなたは生きている価値がない」と断定することは、命の始めと終わりとを決められる神さまの領域を侵すことだ。「どんなに障害が重くても、神さまはすべての人に生きる権利を平等に与えておられる。人間にとって第一に大切なのは、体の健康よりも、魂の健康である」と語っておられたゴスペル歌手レーナ・マリアさんの言葉を思い出す。
声なき叫び
実際に人工中絶される胎児の様子をビデオで見る機会があった。受胎して、わずか十二週の手のひらほどの胎児は、容赦なく襲ってくる中絶機器から逃れようと必死で動き回るが、逃げ場はなく、見る間に手も足も切り刻まれ、チューブに吸い込まれていく。「私を殺さないで!助けて!」 大きく口を開き、もがくその姿から、胎児の悲痛な叫びが聞こえてくるようだった。「人を殺せば捕まるのに、どうして赤ちゃんは平気で殺すの?」一緒にビデオを見ていた少女の言葉が胸に響いた。
こんなにも輝いている命
待ちに待った出産予定日の早朝、私は腹部に鈍痛を感じて目が覚めた。主のなさることは、すべて時にかなって麗しい。時が満ちて陣痛が始まったのだ。子宮は収縮を繰り返し、胎児を外に出そうとし、骨盤は押し広げられ、胎児が生まれてくる産道が準備される。すべて主がなされるみわざだ。
「次に陣痛が来たらいきんでください」と助産婦に言われたのは、陣痛が始まってから十四時間もあとのこと。やっと赤ちゃんに会える喜びで新しい力がみなぎり、渾身の力を込めていきむ。「おぎゃー」元気な産声をあげて赤ちゃんが産まれた。顔も体も真っ赤にさせて力一杯泣いている赤ちゃんを抱くと、全身に命の輝きが伝わってくる。「神さま、命をありがとう」。私たちのすばらしい創造主を分娩台から躍り上がって賛美したいほどだった。
出産は、女性にとって命がけの大仕事だ。決して容易なことではないが、ひとつの命が誕生する喜びは、何物にも代え難い。性と結婚を切り離して考えるのが自由であり、時代の流れだとする間違った風潮の中で、いま多くの女性が中絶を体験し、身も心も深く傷ついている。
中絶の理由は様々だろうが、果たして命よりも重要な理由だろうか。たとえ自分が育てられなくても、養子として新しい家族に迎えられ、子どもは幸せに生きる道があることを知ってほしい。こんなにも輝いている命を消さないでほしい。そして自らも光の中を生きてほしいと、六ヶ月になったわが子を抱きながら祈る毎日である。