男性たちよ、勇気を持とう。 霊的勇気が自分と家族を変える(前半)
上沼昌雄
「聖書と神学のミニストリー」代表
この数年、男性集会をしてきて気づかされたことですが、私を含めて男性は、罪や怒りや恐れや支配欲から解放されて、自由に神の思いのままに生きる霊的勇気が必要です。内面的な勇気です。自分が自由にされることで、妻を自由にし、子どもたちの自主性を育てる勇気です。人間的、社会的には必ずしも評価されない勇気です。神とのかかわりで求められる勇気です。ありのままの自分を認める勇気です。キリストのように生きる勇気です。神の喜ばれることを見分けていく勇気です。
自分の罪を認める勇気
男性が必要とする勇気の第一は、自分の罪を認める勇気です。罪が、私たちの思い、行動のすべてに浸透し、深い傷を残していることを知る勇気です。妻を悲しませ、子どもの心を踏みにじっていることを認める勇気です。私たち男性は、自分の罪に気づいてキリストによる赦しを信じる信仰を持っているのですが、その罪を深く掘り下げて行くことを避けてしまいます。パウロがローマ書七章で自分のうちに住みつく罪を認めていくプロセスは、霊的な怠慢さを打ち破って、神の前に真摯に出ていく、厳しい道です。神の赦しを信じているからこそできることです。
罪の現実に直面するのは勇気がいります。自分を打ち破り、さらけ出していく勇気です。避けてしまいたくなります。そんなに厳格にならなくても何とかクリスチャンとしてやっていけるのではないかと思ってしまいます。それでは神とのかかわりが深まりません。実を結ぶことができません。
男性のプライドの問題は、自分の罪、過ち、闇の世界を認められないことです。どうしても人の責任にしたり、状況のゆえに思いたくなります。妻や子どものせいと言い訳をしてしまいます。霊的勇気は、自分がまさに罪人のかしらであることを認めることです。
自分の罪を認めることは、心のなかの闇の世界に光をあてていただくことです。アダムによる罪の歴史が、自分のなかにそのままあることを知ることです。アダムに始まり代々染み込んでいる罪の現実を受け止めることです。厳しいことです。
霊的な勇気は、神の前に裸で出ていくことです。罪を認めさせる聖霊の導きに敏感になることです。神とのストレートなかかわりを回復することです。心の傷が静かにいやされていくことです。神とのかかわりが透明にされることです。妻はそのような夫の信仰に喜んで従います。子どもたちはそのような父親の信仰で心の平安を獲得します。
キリストのように生きる勇気
第二に必要とする勇気は、キリストのように生きる勇気です。キリストともに十字架で死ぬ勇気です。自分に死んで、人のために生きる勇気です。人を生かす勇気です。私たち男性は、信仰をいただいているのですが、どこかで道徳的な規範で生きているところがあります。それで自分を縛り、家族を苦しめてしまいます。「文字は殺し、御霊は生かす」(Ⅰコリント三章六節)といわれる文字(律法)の世界に戻ってしまいがちです。そのほうが楽だからです。この縄目を打ち破らなければなりません。
キリストのように夫が妻を愛することは、栄光に輝くひとりの女性を神の前に立てあげるためです。そのためには、産みの苦しみのなかで「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる」(創世記三章一六節)という支配欲から解放されることです。キリストとともに死ぬことです。自分が自由にされることで、妻を自由にしていくことです。同じように子どもを自由にしていくことです。
男性は自分に死ぬ機会がありません。「子を産むことによって救われます」(Ⅰテモテ二章一五節)と女性が言われているのは、自分に死ぬことが求められているからです。男性は直接的にアダムの罪を負っています。エバが先に誘惑にあっても、結局アダムの罪なのです。その罪の上に知識や経験や立場を上塗りしてしているだけです。「聖書の教え」で着飾ってしまうこともあります。エゴが最後まで生きています。
キリストのように生きることは、キリストがそのような自分のうちに生きていることを認めることです。確かに生きているのは私です。しかしまさに信仰によってキリストが自分のうちに生きることを認めることです。この転換が難しいです。勇気がいります。しかしこの転換を認めると、神はいろいろな場面でキリストともに死ぬ機会を提供していることに気づきます。仕事のこと、妻に対すること、子どものこと、自分の内面のこと、恐れや怒りのことなど、自分に死ななければ生きていけない場面が多くあります。勇気を持ってキリストとともに死ぬことです。あとは信頼するだけです。
男性の心が破られて窓が開かれてくると、神の霊が働きやすくなります。御霊の自由が家族に届いていきます。妻は夫の支配から解放されます。ひとりの人として受け止められていることを知ります。夫婦の信頼が深まります。子どもたちは父親の心が神に向いていることで信仰を学んでいきます。