神様がくれた風景 10 落ち葉

十五夜の月
やまはな のりゆき

「人が埋もれるほどの落ち葉に憧れていた」と妻が言う。
妻も私と同郷の小樽人。そういえば、雪で遊んだ記憶はいくつもありますが、落ち葉で遊んだ記憶はひとつもありません。北海道では葉が落ちるとすぐに霜が張り、秋の冷たい雨や初冬の雪が降るので、落ち葉はすぐにぐちゃぐちゃになってしまうのです。18歳の時、北海道から上京して感動したのは、4月の桜と11月の落ち葉の円舞の美しさでした。
私たち家族が横浜・港北ニュータウンに引っ越したのは2000年秋。周辺を緑道が取り囲むこの街は、緑の多い美しい土地です。子どもたちがまだ幼かった頃、この緑道へよく一緒に散歩に出かけました。広い公園が色とりどりの落ち葉で埋めつくされ、それを山盛り抱えてはしゃぐわが子の姿は絵本のワンシーンのような愛らしい記憶です。子どもたちは親の庇護の中、安心して毎日を送っている。だから笑顔が透き通っている―。
キリストに出会う前の僕は怒りやすく、よく怒鳴る悪い父親でした。子どもたちは僕の顔色をうかがいながら、毎日を過ごしていました。けれど、神はこの小さな家族を哀れみ、信仰を持って生きる家族に変えてくれました。しっちゃかめっちゃかなところもたくさんありますが、皆自慢の子どもたちです。彼らがこれからの長い人生の中で神から離れ、自分勝手に生き、迷い、光や道を見失うことがたとえあったとしても、立ち返るべき基軸を知っていることは親として大きな安心。独り立ちして社会に出て行く彼らに親がしてあげられることはわずかですが、信仰という道筋を残してゆくことが、私と妻の最も大きな仕事だと思っています。
長女が21歳、長男が17歳になり、家族5人そろって出かける機会もとんと少なくなってしまいました。今は11歳の末っ子が辛うじて一緒に歩いてくれますが、いずれそのうち妻と二人きりなんてことになるのでしょう。それもまた、良しです。