神様がくれた風景 9 水彩画の秋

十五夜の月
やまはな のりゆき

秋ほど水彩画に合う季節はないと思う。この季節を描くのがずっと楽しみでした。緑、黄色、バーミリオン、赤、青、紫―。すべての美しい色を拒まない季節。絵の具を画面ににじませてゆくのは楽しい。
クリスチャンがよく使う言葉に、「ゆだねる」というフレーズがあります。わが人生の行く末、未来を自分の思う理想的な方向に行くように期待しあくせくするのではなく、ベストを尽くした後は、結果を神に「ゆだねる」といった使い方をするのですが、信仰を持って生きることを決意した後に大きく混乱したのが、この「ゆだねる」という言葉の実践でした。
「ゆだねる」と言えば、葉っぱが流れに身を任せるように流れてゆくという意味の解釈をしていたので、これまで七転八倒、必死に右往左往しながら40年も生きてきたこの身には、どうも理解できなかったのです。
あるクリスチャンが、「何もしないで寝てろってことか?」と、本気で寝てばかりいたと書いているのを読んだことがありますが、全くしかりで、この意味が理解できずに、いらだって寝ることに決め込んだ経験が、実は僕にもあるのです。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(伝道者の書12・1)と聖書にあるけれど、これはもっともで、サーフィンのコツを年をとってから覚えるのが困難であるのとよく似ています。
水彩画に真剣に向き合うようになったのは、実を言うとこのお仕事をいただいてからなのですが、水彩画を描く作業はまさにこの「ゆだねる」の実践です。紙に下書きを書いた後、水をたっぷり画面一面にふくませ、水で薄めた数色の絵の具をポタポタと落としてゆく。絵の具のにじみの効果を狙ったこの作業は、あとは水と絵の具の自然な動きに任せるだけ。どんな絵になるか、どんな効果が出るか、結果は神にゆだねるしかないのです。
水彩画のお仕事から、信仰の生き方を学ぶとは思ってもみませんでした。