福祉と福音
―弱さの福祉哲学 最終回 デクノボーになりたい
木原活信
同志社大学社会学部教授
「雨にも負けず」で有名な、宮沢賢治のあの詩の結びの言葉をご存知であろうか。それは、「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなに『デクノボー』と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものにわたしはなりたい」(原文カタカナ)と結んでいる。「デクノボー(木偶坊)」とは身体が大きいだけで「役立たずの人形」という意味であるが、奇妙なことに宮沢は「そういうものになりたい」と言うのである。宮沢の理想の境地、それは「デクノボー」であった。
このモチーフになった人物が、宮沢の友人であり、斎藤宗次郎という実在する一人の無名のキリスト者だったことが近年明らかになった。彼は、内村鑑三の影響を受け、信仰を貫いたため冷遇され、失職し、不遇な生涯を送った。不器用で、誰からも賞賛されることもないが、常に困窮する人に与え尽くす人物であった。宮沢の理想の人物は、偉大な英雄ではなく、「誰からも褒められない」役立たずのデクノボーという「ウドの大木」と言われ蔑視されるような人物であった。
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この連載を終えるにあたり、最後に「弱さの福祉哲学」という副題をつけた意味を考えることにしよう。力や強さというのは現代の流行である。「○○力」の形成という表現はお馴染みになった。その前提にあるのは、強くなければならないという「まなざし」である。このような力や強さへのまなざしは、教育や福祉の領域にも侵食している。そのまなざしによって、弱い人に対して、自立を目標にして、社会にうまく適応し、強く生きるようにサポートし、それを励ます方向になっていく。結果的に、弱さは克服されるもの、捨て去るべきもの、という「まなざし」になっていく。弱い人は、この「まなざし」の前に圧倒され、敗北感を超え、虚無感と挫折感を抱くことになる。
しかし、果たして、弱さは否定され捨て去られるものなのであろうか。このような強さや力のまなざしは、「デクノボー」的生き方と懸け離れている。現代社会は「弱さ」を消し去ろう、隠そうと必死になっているが、本当に人の役に立っている援助者というのは、「強さへのまなざし」とは真逆の、一見すると役立たずに見える自分の弱さを素直に認めることのできるデクノボー的人物ではないだろうか。援助者が積極的に自分の弱さを開示するという発想、これこそデクノボー的生き方である。
確かに、潔癖な人よりは、どこかすきがありそうで弱そうな人のほうが近寄りやすく、いざという時助けてくれるものである。誰からも「褒められもせず」「日照りの時は涙を流し」「寒さの夏はおろおろ歩く」しかないデクノボーのような人こそ、本当は頼れるのである。
「悲しみの人で病を知っていた」イエスの「打ち傷」こそが、平安をもたらす源泉なのだという確信から、ヘンリ・ナウエン(ハーバード大学教授を辞して、トロントのラルシュ共同体の重度障害者のケアを担った異色の司祭)は、これを「創造的弱さ」(creative weakness)と呼び、その中に援助の本質があると述べた。ナウエン自身、マイノリティーとしての苦悩と鬱病を患った経験を通して、援助者の強さよりも、弱さこそ苦しむ人に平安をもたらす真の源泉になると述べた。ナウエンは言う。「長い訓練を経て、人間の行動を理解する高度なレベルに達した人は大勢いるが、人のために自分のいのちをも捨て、自分の弱さを創造の源泉にする人は少ない。多くの個々人にとって、専門的訓練は力を意味する。しかし、上着を脱いで友の足を洗う奉仕者は、力なき者であり、その訓練と養成は、自分の弱さを恐れずに直視し、それを他者のために役立てることができることを意味する。この創造的弱さこそ、奉仕者にはずみを与えるのである。」(『友のためにいのちを捨てる』佐々木博訳〔女子パウロ会、二〇〇二年〕一六六、一六七頁)パウロも、「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(中略)なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(第Ⅱコリント12・9―10)と告白したが、この神の力が覆うために「弱さを誇る」とはデクノボー的生き方と相通ずるものがあり、これこそ福音的生き方の本質である。
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さて、まだ余韻を残しつつも、以上をもって一年間続いたこの連載を終える。多くの読者の励ましに心より感謝したい。「さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」というあの方の力強い手に今日も支えられて、役立たずのデクノボーである私が今日も一日生かされているという喜びを感謝しつつ、結びとしたい。