福祉と福音
―弱さの福祉哲学 第11回 教会は福祉にどう向き合うべきか
木原活信
同志社大学社会学部教授
今日の日本のキリスト教界は、「社会派」と「教会派」に二極化する傾向にあり、両者の間は疎遠になってしまっている。神学議論はさることながら、宣教ということから言えば悲劇であり、聖書が示す教会の姿からも乖離していると言わざるを得ず、ローザンヌ宣言の社会的責任の観点からも、このことを正面から問う必要がある。
私自身、立場上、いわゆる「社会派」と呼ばれる教会・団体から意見を求められることがあるが、そのときは、聖書信仰を土台に、積極的に伝道することを鼓舞するが、逆に「教会派」と呼ばれる教会・団体では、人々の苦しみと社会の現実にもっと向き合うように強調することがある。アマノジャクのように矛盾しているように思えるが、私なりの「イエスに従い、倣う」という一つの確信による。
これを理解するために、明治以降の福祉をめぐる国家とキリスト教(教会)の関係を整理すると、①明治期からの石井十次、山室軍平らのキリスト者の先駆的ボランタリズムの躍進の時代、②第二次大戦後の福祉国家成立による公的責任の下で、キリスト教は補完的役割となった時代、③そして二〇〇〇年の社会福祉基礎構造改革による市民的公共という発想により、教会にも福祉事業に対して新しい可能性が出てきたという時代、の三つに区分できる。
①の時代には国家は福祉にあまり関与しないため、その代わりにむしろ教会が積極的に福祉に関与し、福音と福祉を一体化した宣教が体現された時代であった。ところが、②の時代では、福祉国家体制が整ったことで、逆に教会は福祉へのかかわりから離れていった。こうして「教会派」「社会派」の二分化が強化された。キリスト教主義の社会福祉法人も、国家の庇護のもとで、補完的役割を果たすにとどまらざるを得ず、結果として信仰的関与を弱めた。
しかし③の二〇〇〇年の社会福祉基礎構造改革によって、国家に依存しない新たな「公共」という段階が来た。保護救済的な国家主導の福祉から、利用者とサービス提供者の対等な契約に基づく市民的福祉へ改革された。
キリスト教界がこのことに自覚的であるかどうかは別として、キリスト教と福祉においても再び新しい風が吹こうとしている。具体的には、従来の社会福祉法人が独占してきた事業をNPO法人のみならず、株式会社まで含めた多種多様な事業者が、福祉サービスへ参入できるようになった(一部制限はあるが)。これにより理屈の上では、教会やお寺も事業者として福祉実践に関与することが可能となった。つまり、再び教会が福祉の事業主体者として積極的にかかわる機運が生まれたのである。
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すでに、これらの新しい時代の先駆者として奥田知志牧師がNPO法人北九州ホームレス支援機構の働きを通じて貧困問題や無縁社会に敢然と立ち向かい、また藤藪庸一牧師は白浜レスキューネットワークを通じて自殺予防対策に取り組んでいる。これらは、NHK他でも特集が組まれるなど反響は大きく「地の塩」としての証がなされている。
また近年、教会自体の宗教法人等による福祉実践も注目を集めている。東京基督教大学の井上貴詞氏らが実践している土浦めぐみ教会(日本同盟基督教団)の例である。ここでは、福音信仰を基盤として、伝道は当然であるが、一方で地域の子どもからお年寄りまでに福祉サービスも実践している。かといって伝道のためにいわゆる「福祉を手段化」しているわけではなく、愛をもって地域に仕えることを通して神の業に参画している。障害児も受け入れる「マナ愛児園」(幼稚園)、「森の学園」(フリー・スクール)という教育事業、介護保険制度に対応した高齢者の「喜楽希楽サービス」では、教会員が「介護職員となってお年寄りを支え」地域に仕えている。
こうして平日にも教会が地域に開かれ、賑わっている。また今年から教会敷地内に、「福祉館しおん」という建物も建設し、障害者ケア開始の準備もしている。こうして、児童、障害、高齢者という福祉サービスを通して地域に仕えつつ、教会自体も着実に成長を遂げている。このように教会が地域に仕えていることは新しい時代のモデルである。信徒にとっても奉仕が教会内の内向きではなく、地域に仕え、社会に対して開かれることにより、教会全体が訓練され、成長し、それが結果的に躍動的な宣教へとつながっていく。
これらはまさに、福音書の中のイエスと弟子たちの宣教の本質を現代的に体現している。彼らは会堂で座して説教だけをしたのでなく、病にある者、苦しむ者、貧しい者のところへ自ら出かけて行って宣教したのである。