私の子育てこれでいいの!? 第1回 母と子の絆

グレイ岸ひとみ

 長女れいあが生まれる前後の数時間は、それまでのんきに生きてきた私にとって、「そこから人生が変わった」というほどに衝撃的で、感動的な出来事でした。

 いよいよ陣痛も強さを増し、じっと横たわっていられないほどで、初産の私はショックを隠せませんでした。恐怖の中、夫につき添ってもらい病院の廊下に出ました。身に付けたと思っていた「痛みをこらえる術」も手につかないほどの衝撃が体を走っていましたが、気がつくと、頭を夫の胸に押し当て、自然と足を開いて、どこからともなくフーフーと息を吹いてる自分がいました。その体勢が妙に楽に感じられて。

 それから、時間の経過もわからないまま分娩室に戻り、そして分娩台に上りました。不思議なことに体はすべてわかっているがごとく、分娩台に横たわってすぐの陣痛で無性にいきみたくなってしまったのです。

 「ちょっと待って!」と看護師さん。まだ医者が来て、なかったのでした。早朝であるばかりか、自宅からやって来るというドクターを待たなければならない。「そんなことできないよ!」波のように押し寄せる強力な陣痛を何度「かわした」かはわかりませんが、その苦しかったこと。

 「あんなにゆがんだ顔は見たことがない」という夫の後日談を今なら笑って聞けますが、あの時は無我夢中、トラウマに近い体験でした。そして医師到着後、あっという間に娘を出産し、一件落着、無事に幕を閉じたのでした。

 自分をコントロールできなくなるような状況で、人間の体に秘められた底力、ふだんはまったく気づかない体の神秘を目の当たりにする体験でした。

 頭では理解しきれていなかった出産の流れや陣痛への対応も、体は知り尽くしているようでした。体のデザインに畏敬の念を覚えるほど。お産という体のお仕事に私は参加しただけ、という印象と感動を今でも忘れることができません。

 疲労と興奮と達成感に浸っている間もなく、生まれたばかりのれいあと対面しました。それは、今までの苦しみとは相反する世界。私の腕に抱かれた、か弱い命。私の娘。「もう大丈夫。お産は終わったよ。ママが守ってあげるよ。ずっと一緒だよ」。

 夫婦愛ともまったく違う深い感情を呼び起こす瞬間であり、その後の「子育て」の労苦を知らずに、希望に満ちたスタートラインでした。相手の存在をこれほどまでにいとおしく思うことは今までありませんでした。

 そして娘自身もママである私を求めています。母親と子どものかかわり方は、家庭の様々な事情や文化の違いによって変わりますが、「命の躍動」「共に必死に生きようとする意志や力」「一心同体の親密さ」は、実は親子の絆や家族のかかわり合いの中で備えられ、育まれていくのだと実感せざるを得ませんでした。

 私は親としての責任の重みを感じると同時に、その絆はすでにある、という安心と自信に満ちていました。

ママの愛も不完全だけれども

 今年で長女のれいあも六歳になりました。アメリカからの引越し、日本語の習得、双子の妹たち、初めての幼稚園生活と彼女なりに多くの変化・適応を繰り返してきましたが、それでもストレスをあまり感じないで育っていると思っていました。

 しかし、年少の時、年中の時も、夏休み明けに「幼稚園に行きたくない」と泣いて訴えたのでした。よくある光景ですが、さすがに二年めは先生も心配し、毎日のように原因究明のため話し合いました。私もれいあに「ああしてみたら、こうしてみたら」と励ましては、問題解決に必死になっていました。

 一週間が過ぎた時、ふとしたことで、れいあの出産を思い出しました。そしてわれにかえったのです。「この子の一生がこの問題で決まるわけではない。この子を信じよう。乗り切る絆が私たちにはある。ありのままのこの子を愛そう」。

 「大丈夫。ママはれいあが大好きだよ。パパもれいあが大好きだよ。神様もれいあが大好きだよ」と笑顔で娘を抱き上げて言いました。二日後、ピッタリ泣くのをやめ、笑顔で幼稚園の門で手を振るれいあを見て、「この子は大丈夫」と心から思えました。そして神様がやさしく私の耳にささやいた気がしました。

 「永遠の愛をもって私はあなたを愛した。私の目にはあなたは高価で尊い」(聖書イザヤ書四三・四)。

 そうだ。私も愛されている。これからも問題は起こってくるでしょう。子どもをしかりすぎたり、ほめなさすぎたり、傷つけたり、傷つけられたり。ママの愛情も不完全。それでも大丈夫。私を信じてくれる神様がいるから。その神様に信頼し、ママという大役を担っている自分を信じ、子どもたちを信じ、愛し続けていきたい……。