私の子育てこれでいいの!? 第3回 パパ丈夫で留守がいい!?

グレイ岸ひとみ

 アメリカ人の夫は私によく花をくれました。つき合う前は、細い花びんにセンスのいい可憐な花が一輪さしてあったり、見たことのない珍しい花だったり。いつもカードが添えてあり、ロマンチックな気持ちに酔わせてくれました。婚約中には鉢植えされた見事なコチョウランをくれて、私は大事に大事に育てました。

 しかし、結婚し、子どもが生まれ、時が流れていく中で、花の種類も質も変化の一途をたどっています。私たちの関係の推移をあらわすように。

 日本に引越してすぐに双子を妊娠し、毎日疲れきっていた私を励まそうと、結婚記念日に夫が花束を持って帰って来ました。”Happy Anniversary!”(結婚記念日おめでとう)と言って差し出しだされた花は、なんと花屋でも一番安い仏花だったのです。私の口は開いたまま。「どうかしたの?」感激の極まりなのか、とまどいの沈黙なのか、混乱する彼。「その花はねぇ、お墓参りに……」。次の瞬間二人で大笑い。日本語がわからず、物価の違いに苦労していたことも吹き飛んでしまいました。

 昨年の私の誕生日のことです。長女れいあと買い物に出かけた夫が帰って来ました。「ママ、目をつむって! すごいプレゼントがあるよ」という娘の興奮に説得されて、目を閉じて、大きな笑みを浮かべて、両手を前に出しました。「お誕生日おめでとう!」手にずっしりと鉢の重みを感じました。「異様な方向に伸びていて芸術的だろう……」と夫。目を開けると私はアロエの鉢植えを持っていました。目がテンになるって、このことか。「あっ、あっ、ありがとう……」。今年もそのアロエは元気に育っています。

 そして、とうとう結婚九年目にして事件は起こりました。私も夫も結婚記念日を忘れてしまったのです。仕事で外泊中に夫が思い出し、バラの花束を抱えて申しわけなさそうに帰って来ました。一週間遅れてのお祝いとなりました。罪ほろぼしのバラの花。

 しかし、さらに付け加えなければならないことがあるのです。実は、夫がなぜバラの花束をくれたのかわからず、言われるまで結婚記念日をすっかり忘れていたのです。穴があったら入りたいってこのことか。なんという失態……。


 「出会ったころの洗練されたセンスは?」なんて夫婦の変わりようを夫のせいにしていましたが、私の愛情表現はどうなってしまったのだろう、と自分を責め、問いただす今日このごろです。毎日が怒濤のように過ぎ去っていくわが家。そんな生活のどこかに埋もれてしまった夫婦の落ち着いた会話や愛情のこもった言葉がけ。いつの間にか育児の疲れから夫にあたったり、家にいながら手伝ってくれない夫に腹を立てたり。

 子どもにちょっと注意するつもりが大きな声を出し、子どもを驚かせ、よくよく考えてみるとその怒りは「自分のことばかり考えている」夫に向けられたりするのです。そのくせ、夫が外泊するようなことがあると、なぜか私も気が張ってか、子どもたちといつもより充実した時をすごせたりするのです。不思議です。

 先日、幼稚園からの帰り道、れいあが尋ねました。「ねぇ、パパうちにいるの?」「いるよ、今日は家で仕事してるよ。」娘の返答にびっくりしました。「え~っ! いやだぁ~。」これってどこから来てるのかしら。私の夫への態度のコピー?まさか……ね。

 夫自身は子どもに妻をとられたと思うこともあるらしい。子どもたちのお皿に食事を先に盛っていたら、「ちょっと多すぎるよ、大人から盛ってほしい」なんて子どもを優先することに憤慨することも。そんなとき、「男の人って子どもみたい」と思うと同時に「夫の存在を忘れちゃいけない」と襟を正されたりします。

 それでも、子どもたちもまだまだ小さいので、お腹を空かせてだだをこねられると、ついつい「子どもたちからまず先に」とあせってしまうのです。どちらを先にというよりは、お互いに「愛されている」ことを実感できたら、それだけでいいのかもしれません。夫も、子どもたちも、そしてママも。だけど、空腹時はそんなきれいごとを言っていられません。

 子育てに追われる中、夫婦のかかわり方やコミュニケーションの形は変わらざるを得ないのかもしれません。「愛は育てるもの」とよく耳にしますが、努力の必要性を最近やっと噛みしめています。相手に努力を期待するばかりではなくて、「自分」にできる努力を。たとえ仏花でも、一週間遅れても、記念日を忘れても、心から相手の存在を喜び、伝わる形で愛情を表現しなくちゃ、と思うのです。

 ということで昨年のクリスマスは、子どもたちよりも先に夫のプレゼントを用意してみました。