私の子育てこれでいいの!? 第4回 ママたちの助け合い
グレイ岸ひとみ
これまで私たち家族は、たくさんの方に助けられながら子育ての一番忙しい幼児期を過ごしてきました。あの方、あの方、と思い返すとき、もちろんベビーシッターさんや先輩ママさんたちの顔が浮かんできますが、あらためて、同じ育児に励むママ仲間の存在にどれだけ助けられてきたことか、と驚きます。
双子の育児は想像どおり、そして想像以上に大変でした。四歳になり、幼稚園にも行き始めたので、かなり手がかからなくなりましたが、なにせ活発な二人です。かわいさ二人ぶん、元気パワーは二×二って感じです。
彼女たちが生まれた当初、私たちは日本に来て一年目、日本語学校の近くでマンション暮らしをしていました。引越して間もないある日、お隣さんのお腹も大きいことに気がつきました。「予定はいつですか?」と尋ねると、「八月です。二人目よ」。長男はちょうど私たちの長女れいあと同じ年とのこと。お互いの家を、子どもを連れて行き来するようになるまで二、三か月かかりましたが、下が生まれてからは毎日のように午後、会うようになりました。
ある日、いつものようにわが家に遊びに来ていた時のこと。双子のひとり真理におっぱいをあげていたら、もうひとりの舞香がお腹を空かせて泣き出してしまいました。二人を同時に抱くことができずにいると、友人が「今、手が空いているから抱っこしてあげる」と舞香を抱き上げてくれました。
必死におっぱいを探す舞香をあやしながら、「私のおっぱいあげてみようかしら」と彼女の一声に、「えっ? そんなことできるの? でもおもしろそう、やってみて!」と私も興味津々、でも内心は必死。すると、舞香はしっかりと吸い付き、お腹も心も落ち着きを取り戻したのでした。「やってみるものねぇ~」。こういう助け合いもあるんですね(笑)。
ひとりでは幼子三人を連れてマンションの階段を降りることすらできない中、彼女と友だちになり、一年目の寒い冬を支え合ってしのぎました。大人ひとりで、子どもたちと毎日向き合うことはすごく疲れるけど、もうひとり大人がいてくれることで不思議と心が楽になりました。
れいあが幼稚園に入ってからは、ママさん友だちが増えました。サラリーマンの夫を持つ方が多く、夜遅くパパが帰宅するまでは、ママひとりで家事と子どものお世話をしています。週一回で、それぞれの家をまわっては「集会」を楽しみました。お茶して、世間話をして、子育ての悩みを分かち合ったり、幼稚園の話をしたり、お昼を食べて、お迎えの時間までにぎやかなときを共有しました。私の場合は、元気な二人も一緒だったので、あまり「ゆっくり」話せたことがなかったのですが、「大人の会話」が聞けるだけで気持ちがほぐれました。
幼稚園から帰った後も、お友だちが遊びに来たり、遊びに行ったり。子ども同士で遊んでくれるので、ママたちは静かにコーヒーを飲むゆとりができて、その短い時間がすごく待ち遠しく感じられたりするのです。コップを両手で持ち、第一声、「ハァ~」。そのときの会話は子どもの話が中心ですが、よく笑い、時にともに泣いて、子どもの成長を励まし合い、喜び合う仲。だれにでも必要な息抜きやたわいのない会話を楽しめる仲。お互いに提供できるものは、お茶とお菓子とおしゃべりくらいなのに、疲れたままで楽しめるのです。
子育ての現実を知っているがゆえに、互いに信頼し、心を開きやすいのかもしれません。子育てを共有する仲間との関係には特別なつながりを感じます。
子育ては大変で当然とか、みんなやってることとか、少しくらい孤独で自信がなくても当たり前とか、「ダメな母親」に見られたくないとか、自分は大丈夫という仮面を捨てて強がることをやめると、同じように子育てに悩み、疲れたママさんたちと仲良くなれました。「みんなそうなのねぇ」と共感しながら。
責任の大きさと、ママの代わりはパパにも務まらない現実があるだけに、ひとりで抱える子育てほど孤独なものはないと実感しています。ほかのママさんに心をゆるし、少し寄りかかってみると、たとえ解決法が出なくても、状況が変わらないとしても、なぜか心が励まされ、なぐさめられ、「大変だけど大丈夫」と安心を取り戻せたりするのです。そして、子どもたちも、友だちやその兄弟たち、さらにはママたちに囲まれ、幸せそうです。
日ごろ街中で、小さな双子ちゃんたち、三つ子ちゃんとすれ違うことがあります。「大変でしょう、大丈夫ですか」とついつい声をかけてしまいます。日本では非常識で、おせっかい極まりない行為かもしれませんが、その大変さがわかるだけに気になってしまうのです。私自身が、ママさん友だちや多くの方々に、支えられ助けられているからこそ言葉をかけてしまうのかもしれませんね。