米国で活躍する福音派クリスチャン
――海を越えて、つながる信仰 ニューヨークの街中で
マコト フジムラ
ニューヨーク在住・アーティスト
ティム・ケラー先生と出会ったのは一九九三年の春であった。
国費留学生として六年半、東京芸術大学での博士課程を終えた妻と私は、ニューヨークの郊外に戻り、教会を探していた。東京では学生宣教運動に参加していたため、福音(聖書の語る恵みのメッセージ)を中心としたムーブメントとつながりを持ちたいと願っていたからである。
その当時、ケラー先生が始めたリディーマー長老教会は、小じんまりとしたニューヨーク市内の西側にある教会を借りていて、初めて礼拝に参加したときは百人ぐらいの集まりであった。ケラー先生の説教は、文学、音楽などのたとえに満ち、福音の影響の範囲は個人の益のためだけでなく、街全体の恵みを求め、愛を実行せよというメッセージであった。「教会」であるよりも「ムーブメント」であることを重視し、初めから姉妹教会を生むことを計画していた。
ニューヨークの文化に批判的な立場をとる教会が多い中、ケラー先生のメッセージは革命的に聞こえた。しかし、その裏には大きなチャレンジもリーダーシップに向けられていた。それはマンハッタン島に住み、その福音に生き、子どもも育てる(エレミヤ書二九章)ということ。そのケラー先生の言葉に従い、妻とニューヨークのトライベッカ地区に三人の子どもを連れ、住み込んだのは翌年のことであった。
それから、十五年以上リディーマー長老教会に関わっているわけだが、その間ニューヨークは歴史的な変動(九・一一も含め)を体験した。ケラー先生のビジョンがニューヨークの街の変化に先立っていたという事実も不思議ではない。しかし、今日四千人以上が礼拝に毎週参加している背景を見るたびに、十五年前に祈ったことの答えを目の前にする幸いを感じる。
そのケラー先生が最も大切にしているのが、このルカ一五章の放蕩のストーリー。「放蕩息子」ではなく「放蕩する神」。そこには恵みの秘訣があり、街の喜ぶ姿を求め、すべてを犠牲にしたイエスの姿が背景にある。