終末と再臨 再臨の希望 ――「空中でお会いしましょう」
清水 昭三
福音交友会 高石聖書教会 牧師
福音交友会の創設者の一人で、日本で五十年近く伝道してこられたアンナ・パフ宣教師が、引退し、アメリカに帰国される送別の席で、「皆さま、また、空中でお会いしましょう」と最後の挨拶をなさいました。さすがは先生と感心しました。主が再び来てくださるとき、私たちは、主の再臨を望み見て生きるよう期待されているのです。
一、再臨はどのようなときでしょうか
(1)主イエスが再び来てくださるとき
キリストは、再臨の約束をしてくださいました。「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」(マタイ24:30)再臨は、キリストご自身が(マタイ24:3)、思いがけない時に(マルコ13:23-36)、突然(マタイ24:25-28)、天使とともに、父なる神の栄光のうちに(マタイ16:27)、勝利に輝いて(ルカ19:11-27)、雲に乗って(1テサロニケ4:16)、来てくださる時です。
(2)主と会うとき
再臨はキリストにあって眠った人々がよみがえり、空中に携え挙げられ、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うときです(1テサロニケ4:17)。
二、再臨について私たちは、どのような希望をもっているべきでしょうか
(1)神の主権が明らかにされる希望
なぜ再臨の時、「地上のあらゆる種族は、悲しみながら」(マタイ24:30)キリストを仰ぎ見るのでしょうか。それは、再臨の時には、全世界が、神の子であるキリストを十字架につけた罪深さを知って悲しむということです。
その時、キリストが救い主であることが全世界に明らかにされ、神の主権が全地に現わされるのです。人の罪の歴史がいつまでも続くのではありません。再臨の時をもって、混乱の世がさばかれ、神の全き支配が全地に完全になされるようになるのです。
(2)主にお会いする希望
「空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります」(1テサロニケ4:17)。再臨の大きな祝福は、主にお会いする恵みです。今私たちは鏡に写すようにぼんやり映るものを見ていますが、その時には、顔と顔を合わせて見ることになります(1コリント13:12)。
現在、私たちは、主との親しい交わりに日々あずかっていますが、しかし、私たちの肉のゆえに、限界のある交わりです。けれども、その時には、主が私たちを知っていてくださるように、私たちも主を知るようにされるのです。
(3)先に召された方々との再会の希望
再臨の時には、先に眠った方々がよみがえらされて、携挙され、次に私たちが携挙されます(1テサロニケ4:13)。ですから、私たちは、空中において、先に召された方々にお会いするのです。どのような状況であるか予想もできませんが、その時、私たちに天上のからだが与えられ、誰であるかが分かるようにされて、なつかしい方々との再会の恵みを与えられるのです。ですから「また空中でお会いしましょう」ということができるのです。
(4)私たちは変えられるという希望
再臨の時、私たちはキリストに似た者に変えられるのです(1ヨハネ3:2-3)。パウロは、それを「天上のからだ」「栄光のからだ」と呼んでいます(1コリント15:40)。今私たちは弱さをかかえ、罪深さのゆえに悩み、苦しんでいます。しかし、再臨の時には、私たちはみな一瞬のうちに(1コリント15:51-53)、キリストに似た者に変えられるのです。神が、私たちのために「朽ちないからだ」「不死のからだ」を備えてくださっているからです(1コリント15:51-53)。
(5)小羊の婚宴の希望
「御霊も花嫁も言う。『来てください。』これを聞く者は、『来てください。』と言いなさい」(黙示録22:17)。キリストの花嫁とは教会のことです。携挙された教会は、花婿が花嫁を迎えるように、キリストによって歓迎されるのです(黙示録19:6-10)。ここにおいて、神が人を創造してくださった本来の目的が完全に実現するのです。
ですから、キリストの再臨は栄光ある現われであり、再臨は、私たちの祝福された恵みです(テトス2:13)。聖書はこのように結ばれています。「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり。わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来て下さい」(黙示録22:20)。