美しく生きる 美しく老いる 与えられた生涯の「召命」に生きる
松木従子
日本ホーリネス教団 八王子キリスト教会牧師
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても、悪くても……」
(テモテへの手紙第二 四・二)
老いるとは、喪失体験が増し、挫折を感じるときでもあると思います。愛する者たちとの死別や、体力・気力の衰えなどの喪失感、行動範囲の狭まりを感じます。しかし主は、これらの喪失経験を通してでなければ得られない豊かな恵みを与えてくださる方です。
パウロの最後の手紙、テモテへの手紙第二でパウロは、「みことばを宣べ伝えなさい」と、テモテに生きる道を示しています。昇天される直前にイエスさまが言われた「……わたしの証人となります」とのメッセージと同じです。
主のみこころを知り、状況、立場のいかんを問わず、喜びをもって生きるときに、美しい老いが織りなされていくのではないでしょうか。老いを神さまから与えられた大切な時として受け取り、証し人として生きることを主は望んでおられます。
みことばに立って
私にとって、今までの人生で最大の喪失体験は愛する夫との死別です。
いくつかの重責を終え、これからゆっくり伝道牧会、執筆と東京聖書学院の働きに当たることを願っていた矢先にがんが見つかり、手術を受けましたが回復することなく、術後一か月で召されました。
「主に従った自分の人生は幸せだった。ありがとう」のことばを残して。
あまりにも突然のことで、「主よ、どういうことですか。教会のことは、家族のことは、どうすればいいのですか」との主への叫びと悲しみと不安が心を占め、何もできなくなってしまいました。
嵐の舟の中に弟子たちとともにおられた主は、悲しみの嵐の中にいるそのままの私を受け止めてくださいました。悶々とする中で、夫の最後のことばが生きる指針となり、悲しみは温かな思い出に包まれ、心の奥に静かに納められるようになっていきました。いやされがたい傷を抱えつつも御国での再会の喜びを望んでいます。
教会員一同も主任牧師の突然の召天に深い悲しみを持ちながら、弱っている私を支え、エレミヤ書二九章一一節の約束のみことばに立ち、彼がやり残したこと(説教集の出版、新会堂建設など)の実現を願い、祈りを一つにして踏み出しました。
それから九年の年月が流れました。主の豊かな導きが注がれていることを思い、主の聖名を崇めております。
主への信頼 ――理解できなくても
アゴ・ビュルキ先生(ハンス・ビュルキ夫人)は、夫が召されて一か月程経ったとき、ひとりの恩師を通して祈りのことばをくださいました。「今までの歩みの中で学んだこと、今この時も主に向かって言うことができる……“主よ、私はあなたを(あなたのお心を)理解することはできません。でもあなたに信頼することはできます”」
この祈りが大きな慰めとなり、私自身の祈りとなりました。
エレミヤ二九章一一節のみことばと共にこの祈りを繰り返し黙想する中で、主への信頼が徐々に深まり、「安けさは川のごとく(It is well)」(『新聖歌』二五二番)の賛美が心に静かに響き、主の平安が広がっていきました。
生涯の召命に生きる
二十六年前にハンス・ビュルキ先生に出会って以来、私たち夫婦はセミナーのたびごとに先生から大きな影響を受けました。みことばの黙想、人生の振り返り、相手に聴く、みことばの分かち合いなどを通して、豊かな魂の経験へと導かれました。
あるとき、「あなたの召命は何か」との学びがありました。「伝道者、牧師」と思っていましたが、「生涯の召命です」と言われ、答えに困りました。ゆっくり考える中で心に響いた召命は「共に」でした。夫の後を受け継ぎ、教会の重責を負える者とさせていただいていることも、主からいただいた生涯の召命である「共に」――主と共に、友と共に〈祈りと交わり〉――があるゆえと思っています。主からの生涯の召命は、現役を離れても、ベッドに伏すようになっても、御国まで続くものであると信じています。
「パスカルの祈り」を自分のものに
「主よ、いまから、あなたの御用のために、あなたとともに、またあなたにおいて、役立てる以外には、私が健康や長寿をいたずらに願うことがありませんように、あなたお一人が、私にとって何が最善であるかをご存知です。ですから、あなたがご覧になって、もっともよいと思われることをなさって下さい。御心のままに私に与え、また取り去って下さい。私の意志をあなたのご意志に従わせて下さい。そしてへりくだった、まったき従順の思いをもって、きよらかな信仰を保ちつづけ、あなたの永遠の摂理によるご命令を受け取ることができますよう、そしてまた、あなたから与えられるすべてのものを、讃美することができますように」(『祈りの花束』ヴェロニカ・ズンデル編、中村妙子訳、新教出版社より「パスカルの祈り」)
信仰を理性より高い次元において理解した科学者ブレーズ・パスカルの深い信仰の祈りに感動しています。この祈りを私自身のものとし、主が与えてくださった生涯の召命に忠実でありたいと願っています。