翻訳者の書斎から 10 シャロンの小さなバラ
─ いのちを救う捧げもの
辻 紀子
翻訳者。他訳書に『天国』『1ダースのもらいっ子』『新版 若い父親のための10章』(いずれもいのちのことば社刊)などがある。日本基督教団 蘇原教会 会員
「わたしが子どもだった頃、家は貧しくて、絵本など買ってもらったことはありませんでした。息子夫婦に子どもが生まれて、ようやく保育園に行くようになり、わたしはお祝いに孫に絵本を買いたいと思って本屋に行ったのです。でもあまりにもたくさんの本があって選べず、途方にくれて買えずに帰ってきました。でも今朝の新聞に『シャロンの小さなバラ』の書評が出ており、早速注文したくてお電話したのです。」
朝一番の電話は岐阜に住む方からでした。私はうれしくて、お目にかかったことのないこの婦人と、はずんだ心でしばらくお話をしたあと、『シャロンの小さなバラ』をかかえてさっそく郵便局に走りました。
翌日の午後、同じ方から明るい声で電話がかかってきたのです。
「保育園から帰る孫を待ちかねて、わたしは『シャロンの小さなバラ』を届けに近くの息子の家に行きました。孫は大喜びで、読み聞かせる私に寄り添って、じっと聴いてくれました。物語に感動して瞳に涙を浮かべているのを見て、私もともに涙がこぼれそうになりました。美しい絵と美しい文章、大切な本となりました」と。
数日後に手紙が届きました。「あの日から毎日、孫は『シャロンの小さなバラ』を抱えて、おばあちゃん、読んで、と庭続きの私の家に駆けてくるようになりました。」
ひっそりと住む老婦人の暮らしに、楽しい日課が始まっているのをお聴きして、翻訳者としての幸せを心いっぱいいただきました。
この絵本『Little Rose of Sharon』は、友人がアメリカに出張中に見つけた本で、私に送ってくださったのでした。小包を開けてすぐ、その色彩と絵に目をみはり、私は玄関先に立ったまま声を出して読み始めました。そして最後のページを読み終わるとすぐ、机に向かって、一気に訳し始めました。心がはずみ、言葉はこぼれるようにあふれて、日本語の物語になりました。
一時も早く、この小さなバラの麗しい捧げものの物語を、ともに暮らしている90歳の母と80歳の叔母に読んで聴かせたい思いにかられ、ペンを走らせました。午後のお茶を楽しんでいた老婦人二人は、最初の聴き手となったのです。母も叔母も深く感動して聴いてくれました。
その日から、私はこの物語を朗読し始めて、人前で朗読できるよう練習を繰り返しました。やがて、次々と保育園や幼稚園に招かれて朗読をするようになり、子どもたちや、父母の会で「いのちは貴いのですから」と語っています。
自分の美しさを誇り、その真紅の花びらを守ることに精一杯に咲いていた小さなバラが、嵐のあと巣から落ちてしまった鳩の卵の中のひな鳥のいのちの大切さに気づいて、これを助けようと真剣に考える場面があります。いのちを救うためにバラのできるたった一つのこと―― 大切な花びらを一枚一枚卵の上に落としてかぶせ、あたためることをためらわずにするバラの勇気と優しさは読む者の胸に熱いものをこみ上げさせます。花びらにあたためられてひな鳥が殻の中で凍え死なずに、ある朝さえずる声を聴いて、もう茎だけになってしまった小さなバラが心から喜ぶ場面――自らを捧げる愛の行いは、あの絵本を読む誰もが感動する場面でしょう。
『シャロンの小さなバラ』を読んでくださった多くの方々、女性だけでなく、男性からもお電話や手紙をいただきました。
ある幼稚園で朗読のあと、園児たちがそれぞれの部屋に戻り始めたとき、一人の男の子が振り返って「おばちゃん! お話とてもよかったよ!」と大きな声で私に呼びかけてくれました。この不意の言葉に園児たちとともに座っていた母親たちから拍手がわきました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)
主イエスの救いの物語へ導かれることを祈りつつ、折々に招かれた場所に出て朗読をしています。