翻訳者の書斎から 7 フィリップ・ヤンシーの著作との出会い

山下 章子
翻訳者

「私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」(IIコリント5:7)

 フィリップ・ヤンシーが初来日して講演を行った1998年秋の夕べを、私は生涯忘れないでしょう。お茶の水クリスチャンセンターに集まった大勢の人々。想像よりもずっと若く、気さくで控えめ、しかし確かに鋭い知性を感じさせるヤンシーと、そのすばらしいスピーチ。講演後のサイン会で、順番を待つ長い列の最後尾に並びながら、多くの、とりわけ若い方々がヤンシーと目を合わせて言葉を交わし、うれしそうにサインをしてもらっておられる様子を、夢の中のできごとのように眺めていたものです。

 ヤンシーのことを知ったのは、今から10年以上も前になります。3歳の娘を連れて米国西海岸の大学に留学していた私は、現地の教会でイエス・キリストに出会い、日本人の牧師から洗礼を受けました。帰国の迫ったある日、とあるキリスト教書店で見つけたのが、『Disappointment with God』(日本語版『神に失望したとき』)でした。タイトルにはっとして思わず手にとったと思うのですが、内容にざっと目を通してみて、「日本人はこの本を必要としているはずだ」と直感したことを覚えています。「神さまなんているはずがない」という思いは、ついこの前まで末信者だった自分のものでしたから、人が神に背を向ける理由をいくつかに分析して考察し、聖書そのものから答えを探ろうとしているこの本に興味をもち、日本に持ち帰ったのです。当時の私には、クリスチャンでありながら、神さまを信じきることができずに苦しんでいる方々こそが、この本を必要としていたとは、予想もつかないことでした。

 ところで、この当時私にとって本の翻訳出版など現実にはとても考えられない話でした。辞書を片手に洋書を読むのは好きでしたが、ひとりで楽しんでいられれば満足で、翻訳の勉強には、さほど興味がなかったのです。第一ひよっこのクリスチャンであった私には、何よりもまず聖書に親しむことや教会生活を送ることが重要でした。

 しかし転機は、娘が小学生になってからやってきました。それまでの勤めをやめ、これから何をしたらいいでしょうかと祈る中で、この翻訳が示されたのです。最初は神さまに抵抗しました。たしかにヤンシーの著作が優れた内容のものだという確信はありましたが、それを正しく伝えるだけの力が自分にあるかというと、ただもう不安だったのです。それに訳ができたところで、その後はどうすればよいのでしょう。どこかの出版社にいきなり持ち込んで、何の実績もない者が相手にしてもらえるでしょうか。可能性は限りなくゼロに近いように思えました。

 それでも、「あの方に、この方に、この本がどれだけ励ましを与えるだろう」と思うことがたびたびあり、とにかくイエス様の衣のすそにつかまってやってみようと決断しました。そして原書、辞書、ワープロと格闘する日々がはじまったのです。

 そんなある日、親しくしていた宣教師とお話をする機会がありました。先生は、こんなことを言われたのです。「私は今、いのちのことば社に、翻訳書として出版するのに相応しい書籍を推薦する役目を負っています。『Disappointment with God』も、加えようと思っていました。これから1年間米国に帰る予定なので、私が戻る来年の今頃までに原稿を仕上げておいてください。そうしたら一緒に、いのちのことば社に行きましょう。」こんなことがあるのでしょうか。本当に驚きました。またさらに先生の奥様は、お兄様がヤンシーの親しい友人であるとのこと、二重の驚きでした。

 原稿は翌々年、いのちのことば社の編集の方たちによって与えられたタイトルで、皆さまの目にふれる運びとなりました。先の保障のまったくないなかで、主にお任せして一歩踏み出したとき、主は思いがけない仕方でドアを開いてくださったのでした。